最終回 ご愛読ありがとうございました!

120908.jpg印刷された単語の長さに引きつけられたオランダ語のポスター。それが20年前、オランダに興味を持ったきっかけ。じっさいに来てみたら空のでかさに圧倒された。高い空近い雲。そりゃそうだ、何世紀も前、ここはもと海だった場所だもの。
 初めてよその国を旅したのは大学3年生の春休みだったな。わたしは一年浪人して大学に入ったので、その春21歳だった。
 高校のときの同級生と2人の学割のユーレールパスを使ったバックパッカー旅だった。
 妹尾河童の「河童が覗いたヨーロッパ」と安野光雅の「旅の絵本」があこがれの旅のモデル。実際には「地球の歩き方」を持っていった。
 ユーレイルパスを使って目標の町に到着すると、まず空き部屋を探して荷物を置く。散歩に行く。有名なレストランや高価なブティックとはまるで縁がない。
 とりあえず目に入った入れる店に飛び込んで、先にいたお客さんの食べているものと同じものを注文した。揚げた魚やムール貝の煮込み、生のお肉。ガイドブックになんて載っていない、みんなが普通に食べているものがとてもおいしかった。ふつうのもので十分だった。
 現地の観光案内所でもらった地図をたどって、美術館と教会を探し当てる。なんて発音するかもわからない道路標識だけがたよりだった。人生初の旅でひとびとの「ふだん」を見物した。

 若いよねがキャッチした「ここちいいふつう」「がんばらない」「あたりまえがあたりまえにきれい」というキーワードはずっと体の中に残った。ずっとずっと、ヨーロッパで見たのとおなじような「幸せ」に憧れた。
 懸命に働けば、いつか余裕ができるのかと思って、ものすごく働いた。いい会社に勤めることができて、それがたまたま服屋だったのでいい服を着られて、一流の人と仕事ができても、心はからからだった。心がからからだったので、たくさんお給料をいただいていたのにも関わらず、ちっとも「これがいい」という気がしなかった。
 一時は仕事の選択を間違っているのかと思っていろんな勉強をしてみた。習い事や学校に通いまくった。いくら投資したかわからない。
 海外に暮らせば見つかるかも。そう思って日本脱出をたくらんだこともある。(まるで「オズの魔法使い」のようだね。)

 だれに聞いてもわからなくて、どこにもみつからなかった、雑誌や本にも書いてなかった、知りたかった答えは結局、旅が教えてくれました。

 わたしが求める「しあわせ」は、「自分から」動く人にしか見えないし理解できない。
 持っているものを「人のために役立てる」こと。それがわたしにとっての「生きる」ってことだったのです。

 ながらくご愛読いただきました「Yone is….」ですが、この文章を持ちまして終了といたします。長い間おつきあいくださいましてありがとうございました。
 文章や本も同じなんです。「自分でやってみる」までしないと、気が済まない。読んでくださる方がどこかにおられる、それがすごくうれしくて、これまで続けてこられました。ログをひっくり返しますと、最初の投稿は2005年からです。あしかけ8年。怠けた時期もありますが、とにかくすごい量です。長い時間かけて、答えを見つけられましたのは、皆さんのおかげです。
 読んでくださった皆さまが自分の幸せを見つけられますように!!お元気で皆さまの旅を続けられますように!!応援ありがとうございました!!!よねの旅はまだまだ続きます。またどこかで! よねざわ みどり。
 

投稿者 midori : 03:54 pm | コメント (0)

こちら側かそちら側か

120909.jpgぱかっぱかっ。え?あの音はまさか?そう、そのまさか。ふつうに歩いて来て、ふつうに去って行った、騎馬警官。しかも一人は婦人警官。すごー。かっきーいいい!事件が起きたら走るんだろうか?きっと駆け足するんだろうな!どきどき!
 アムステルダムから日本に帰ってきてみると、行く前はつぼみだった桜は終わっていた。母からはいろんなチューブや点滴も抜けて、コードレスになり、退院し、私の仕事は新学期が始まり、あーーーっというまに夏休みになり、その夏休みも終わった。
 旅で幹事だったみたいに、現在はうちでも幹事をしてる。
 食事でも行事でも、提供する側企画する側になってみれば、普通のことでもとても頭を使うし、なんでもかんでもクリエイティブ力と素早さが要求される。気は張るけどいちいち達成感が与わる(やっててよかったよ。数々の宴会幹事)。家庭や生活や仕事を宴会にたとえるのは違っているかもしれないけど、まあ今は、幹事気分でやっています。
 今までなにかどっか、塩梅が悪い感じ、足りない感じがずーっとしていたのは、生活者としてなにごとも受け手側でしかなかったためだ。

 この年になって、いまごろそんなことを発見したなんて言ってるなんて、ほんと恥ずかしいのだけどね。この場を借りて正直に告白。いままではほんと呑気に過ごしてきたんだ。偉そーなこといいながら極楽とんぼ、半人前でした。
 親が弱ってきたので、いろんなことをわたしがきめなくちゃならない、ってこともあるだろう。それが、たまたま今年来たってだけなんだけど。ハプニングのおかげで気づいた。わたしにとっては重大なことです。
 これからはなんでも決めていかなくちゃならない。わたしが。

投稿者 midori : 03:53 pm | コメント (0)

ありがとうアムステルダム!

120907.jpg建物の上のサインには「あむすてるだむ、せんとらあある、すたしおん」と書いてある。駅の前の路面は、線路だらけ。駅の正面はアムステルダムじゅうへのトラム発着の中心でもある。
 たいへんな旅の続きです。何ヶ月か経って、こう思うのです。
 行ってよかった。アムステルダムはますます忘れられない場所になったなあ。

 あーこれが、おれの旅なんだ、って思ったね。
 旅が自分のものになった気がした。したかったのはこのことか。
 「自分の体験を人に役立てる」
 それがわたしの「幸せ」なのです。

 みこしは見る物でなくて担ぐもの。ダンスはみるものでなくて踊るもの。合唱は聴くものでなくて唄うもの。旅は買うものでなくて作るもの、人を喜ばせるもの。
 こうでなくては、わたしは「まだ足りない」って思ってしまう。

 楽しかったり、きれいだったり、それだけでは満足できない。かならず、自分でやってみて、自分で作ってみて、そいで、だれかに伝えたい。だれかに良かったと思ってもらいたい。
 旅だったら、「ぽつ」「ぽつ」という、スポット的な「お楽しみ」でしかないのなら、どんなに豪華な特典がついてても、まったく興味がわかない。行きたくない。でも、行った経験が「ポポポン」と、次の何かにつながって、積み重なりそうな予感がするなら、どんな貧乏旅でも俄然、やる気が出ます。

 旅以外のことでもぜんぶ同じです。
 ちっちゃくても質素でもぜんぜんかまわない。むしろ、大きいと困る。誰も気にしないくらいなのがちょうどいい。世界最小でいいから、自分以外のだれかの役に立っていたい。だれかに喜んでてもらいたい。そしてできるならば、大喜びして覚えていてもらいたい。
 すごく単純なのですが、そこんとこがわたしの生きる原動力というか、生きる意味だったのではないか?と、このたびの難易度ウルトラな旅をやり抜くことで、やっと見つけたのです。

 ありがとう叔父!ありがとう叔母!そしてありがとう!くみちゃん!ありがとう母!ありがとう母の病気。ありがとう母の病院の先生!ありがとうアムステルダム!

投稿者 midori : 03:52 pm | コメント (0)

ウルトラな旅で発見したこと

120906.jpg乗り換えの駅で見かけたすごい列車。どこまでつながっているのか!終わりが見えない。合成画像のようにも見えるが、ちゃんと本物。旅の仲間くみちゃんは「鉄」のきずなで結ばれている友人。くみちゃんが気がついたのでシャッター押せた。
 いままでの問題なんて、悩んでいるときはそれなりに深刻だったのだけど、一人の人間の命の前ですべて吹っ飛んだね。あたりまえの生活を繰り返すことのありがたさを知った。毎日をまわす為に、夢が希望がどれほどの原動力になるか?ってことも知ることができた。夢や希望を持てるってことがなにごとにとっても始まりだし、持てるってことじたいがすばらしい!
 
 それが母の手術と重なったオランダの旅。ふつうならキャンセルするところを、ある事情で決行することになりました。
 母の代わりに行くことになった叔父は海外旅行初!という、「フジ三平」に出てきそうな日本人のおとうさんで、おまけに腰を痛めていて石畳を歩くのが辛いというし、夫婦喧嘩は始まるし、すりには遭うし、忘れ物はするし、で、これ以上トラブルに遭わないで無事に日本に帰り着けるように、へとへとになるまで気を遣いました。そんな中、頼みの綱の友人がガラスの壁に激突して足をけがして、わたしは「バイエンコルフ(三越のオランダ版)」にも売っていない、杖を探して買いに行く場面があったり、で、もう、どきどきはらはら、しどうし。すごいヘビーだったのです。でも、いい旅でした。5ヶ月経ってみれば全部いい思い出です(←これ、テストにでます!)。

 すばらしい収穫はなんといっても、アムステルダムに対してちょっとだけ、位置が近づけたこと。
 これまではいつも「お客さん」だったわけです。今回だってあいかわらす異邦人ですが、いつもとちょっと違ってました。母が病気になった時点で、もう、ぜんぜん旅行なんかしたくなかった。自分のためのたびではなく、ひたすら、母とメンバーのための旅だったのです。
 旅の初心者の叔父叔母、それと友人のくみちゃんがいたおかげで、アムステルダムの身内側(つまりホステス、ディズニーランドだったらキャスト。旅行社だったらツアコン)に立つことになったのでした。
 いつもとまったく違う立ち位置で、自分中心のときとはまったく違う眺めを見たのです。

■さて、テスト、です。
 「終わってみれば全部いい思い出です」
 このことをことわざではなんというでしょう。正しい日本語で書きなさい!

投稿者 midori : 03:51 pm | コメント (0)

フルカラーバージョンの人生

120905.jpg発車を待つ国際特急。ウルトラマンみたいですごく速そう!だが、実はあんまり速くないらしい。友人の話だと4回乗ったうち、1回しか時間通りに着かなかったって。すごくカッコいいのに、肝心ななにか抜けてて、ちょっと残念な男子、っぽい。
 旅行をきっかけに、母の病気が発見されまして、母の手術をきっかけに、よねは主婦新1年生になりまして、いろんなことを知ったわけです。
 タケノコご飯の作り方や、どこに洗剤の買い置きや、お客用のシーツやタオルがしまってあるか?とか、何曜日と何曜日に牛乳の配達が来るか?とか、家のお金がどの通帳から引き落とされるか?とか、この料理とこの料理を二ついっぺんに作るにはどのくらい油をひけばいいか?とか、洗濯と掃除機と皿洗いと戸締まりを全部終わらせる所要時間はどのくらいか?とか、キャベツ1個、卵1パックがなくなるまでに何日かかるか?とか、これくらいの風だとあとどのくらいで洗濯物が乾くか?とか。

 でも知ってなによりよかったのは、これまで、自分がどれだけ支えられて来たのか?支える人はどれだけ大変だったか?それから、支えになれる(役に立てる)ことがどれだけうれしいことか?ってことです。
 人って、骨や筋肉みたいなもので、ある程度の重圧で何かを支えていないと弱くなる。適度なストレスは必要だと考えます。果たすべき責任をのがれている人は、その負い目で、みずから、自分の器にに合わないストレスを買って出てしまうのではないか?とさえ、思います。

 今まで、子育ても奥さん業もする必要のなかったよねは、お嬢のまま大人になってたってことがわかった。自分の欠けている点をこのたび、自分で取り戻すことができて、たいへんではあるのですが、来てよかった〜という感じです。このところのさわぎ全体をも旅だとすると。
 いくたびもの「たいへん」を乗り越えて今や、いままで見ていなかった色が見られるようになったわけです。ふつうの暮らしの尊さは、今まで可視域からはずれていた幸せ色です。256色しか表現できなかったのが1026色出せるようになったようなものです。なんと世界はカラフルなことか!

投稿者 midori : 03:50 pm | コメント (0)

これでいいのだ!

120904.jpg夜明けの空にまだ白い月が浮いている。NHKの「街歩き」なら、ここでオープニングテーマが響いているはず。母と行くはずだったアムステルダム。くみちゃんと、はつこおば、とそしてなぜか、行けなくなった母の代わりに、おじの4人連れ。
 結論から書くと、旅、まだ続いています。
 オランダから帰ってきてもう5ヶ月もたつけど。気持ちは旅立ったまま、まだ旅の最中。
 究極の旅の中にいるといってもいい。人はだれしも、もうもとの地点にはもう戻らないってことを、知った。
 場所は同じなんだけど、いろんな物を捨て、新しい物を取り入れ、新しい運命を受け入れ、新しい夢を探す。
 夢にたどり着くには、夢見るだけではだめで、夢を探しに動くこと、目の前の道を夢中で進むこと。(曲がり角では少し考えて)
 なんだか、この年になって初めて、人生のしくみみたいなものがわかったよ。そう、毎日が旅!旅ばんざい!旅はいいなあ!

投稿者 midori : 03:48 pm | コメント (0)

勝手に世界ふれあい街歩き〜千葉(日本)

110429.jpgゴールデンウィークのスペシャル。よねの街歩き。千葉も世界の一部には違いない。勝手に「世界ふれあい街歩き〜ちば」(←あほ)。
 人生初、畑の真ん中を突っ切り、谷を下り川を越え、丘を登り、やがて国道51号線と交わる、いちばん古くからの道を歩いてみました。バスや車で何千回も通っているはずなんだけど、最初から最後まで歩き通したのは生まれて初めてのことです。

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 よねが住む千葉市若葉区は千葉駅前から8キロほど内陸に向かった丘陵の上のあります。千葉市の外れの林を切り開いた住宅地です。車だと30分かかります。バス料金は360円(片道)、タクシーに乗ると3000円をちょっと切るぐらいの距離です。毎日の通学通勤となると、千葉駅よりさらにこれだけ引っ込んでいるのはかなりのはるばる感があります。
 モノレールができる前はもっと不便でした。細くて古い国道を通るバスしか街に出る手だてがありませんでした。西千葉駅が最寄りだった高校への通学はけっこう遠かったなあ。嵐だの雪だのでしょっちゅう遅刻してましたが、国道51号線の渋滞は有名だったので大目に見られていました。よねの家のある地帯は「陸の孤島」と言われるくらい遠い場所だとクラスのみんなには思われていたのです。
 千葉駅に向かうには大きなだらだら坂を2つ上がったり下がったりしながら、全体的に山を下る感じ。市の中心に建つ7階建てのビルの屋上と同じぐらいの高さにあるのだと、小学校の先生からは教えられました。風向きもあるのでしょうが、気温も街の中心より少し低く、桜の開花も数日遅いです。
 自転車通学や通勤はちょっと厳しい。行きはラクチンでしょうが、帰りは軽い山に登るくらいの覚悟がいります。
 せっかくなのでカメラと万歩計を持って挑みました。
 歩くためだけに歩くって、けっこう面白かったです。

■「I love you. フィンガー5」
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 いくらなんでも40年も前から書かれているわけないとは思うので、よねよりずっと若いおばかさんの仕業だとは思うが、小学生のとき、リアルタイムで歌って踊ったよねは、つい反応。そしてにやり。(ほとんどの曲を今も歌えます)

■「チェックの縁取り」
国道51号線はご覧のとおり、バスやトラックの車幅ぎりぎりの細い古い道なんだが、すごいもの発見。
 道路の両脇の側溝のコンクリート製の蓋を、古くなったのと新しいのとをかわりばんこにはめてある。
 特筆すべきは、1カ所の間違いもなく、ずっと古いの新しいのが同じリズムで並んでること。古いのは風化して荒い砂利が表出している。新しいのはすべすべ。たったそれだけのことなんだけど。とってもかわいい街道の縁飾り。
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 ちなみに人はおじいさんもベビーカーも車椅子もこの蓋の上を通るしかないせいか、でこぼこ無し。妙に洗練されてみえる道路。蓋なのにバリヤフリーって美しいと思わない?
 3kmぐらいの距離をずーっとこの調子。だれかが指示をして、それを間違いなく丁寧にだれかが並べた、って単純なことなんだが、よく考えるとすげーっと思う。

■「そらあり?」
上を見上げたら、ほんとうに空が広がっていたー。
歩かないとわからないこと、たくさんあった。千葉市立美術館まで、ちょうど一万歩。1時間半の旅でした。
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投稿者 midori : 09:41 am | コメント (0)

新しい朝が来た

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鉄道に乗っていても道を走っていても、橋を越えるときにいつでも、わけもなくハイになる。視界に入るあや模様のリズムに「おまいは今、前に進んどるよどんどん進んどるよ」と勇気づけられるからかも。千葉県から茨城県に向かう道の途中、利根川にかかる橋。
 このところの楽しみはラジオ体操。
 またまた、じっくりパソコンに向き合える日が取れないスケジュールになって、早朝起きてパソコンをつけるようになった。毎朝とはいわないが、4時か5時頃から家を出るまでが最近のデザイン業のコアタイムなのだ。
 ここ数ヶ月、運動不足が連なり、ついにまた、体がばりばり。
 去年のように「駅まで徒歩」を復活しようとした。しかし、1時間のゆとりさえ作れない忙しさになる。もっとも、この暑さでは、駅に着く頃には伸びてしまうかもしれないし。
 ある朝、一仕事済んだ6時27分、思いついて近所のマンモス公園に出かけてみた。近所の白井さんが自分のラジオを持参でラジオ体操をしていて、そこに人が集まっていると聞いていた。
 森の広場の真ん中にちょこんとラジオが据えられていて、いたいた、ラジオ体操の人たちだ。NHKがすでにかかってる。新参者のよねは、ラジオからはうんと離れた位置にある、こどものころ登って遊んだこともある大きな木の影に自分の場所を陣取って、帽子とタオルを木の枝に引っ掛けて、準備OK。辺りを改めて見回して、ちょっとびっくりした。
 このマンモス公園は、広場を中心に木が自然の雑木林のように無造作に植わっているスペースの奥行きが広いのだけど、いつの間にか、よねの後ろにも横にも、その森の木々奥からひっそりと人が現れてきていた。なんか、ディズニー映画の「白雪姫」で森の奥から動物が現れるシーンがあるじゃない?とにかくそんな動物が出てくる感じで、いつのまにかご近所の人集合。老人がほとんどなので、こどもみたいに騒がないし気配が完全に自然に溶けている。妖精か木霊かというぐらいひっそりと。しかも妖精たちは、ラジオ体操の歌が始まると曲に合わせてマーチを踏みはじめた。打ち合わせなし。号令なし。ミュージカルみたいだ。
 こんな朝に、だれからも強制されたわけでなく、人が集まって行進していることにちょっと感動。それから、ラジオの向こうで今現在たくさんの人が同時にシンクロしているのを感じながらよねも体を動かす。すこし、元気になる。

投稿者 midori : 05:36 am | コメント (0)

元旦にしたこと

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「たかいー(ちゃらちゃらちゃ!) はやいー(ちゃらちゃらちゃ!) っも のれーええる」(音楽もとうぜんある)100パーセントこどもの気持ちで乗っていたときに浮かんできた歌。「たかいー」という部分は運賃がばか高いという意味ではない。高いところを走るのは、歌にしたいくらい、気持ちいい。
 本日元旦は今年初の散歩にでかけた。カメラを持って。モノレールの下の道を駅に向かって進むと、ごおーっという音とともにモノレールが通り過ぎていく。
 カメラを向けたが、けっこう難しいのだ。街路樹がかぶらないところとか、太陽がまぶしくない場所、などと足場を選んでいたら、けっこう時間がかかった。おまけにシャッターのタイミングが取りにくい。モノレールのないフレームでシャッターを押す練習を何度かして、次のモノレールを待つことになった。散歩中断。風が冷たくなってきた。鉄道の写真を撮りたい人って、きっとこんなかんじで電車を待つのだな。撮り鉄たちの気持ちがなんかわかる気がした。
 毎日乗ってもう何年にもなるが、いまだに、飛行機や特急電車や馬の背中を抜いて、よねの乗り物ランキングナンバーワンの座をキープし続けている。
 このモノレールはぶら下がり式である。ぶら下がっていることはもちろん、中に入ると見えない。だが、きっといつか落っこちるんでないかというスリルはかなりのやなかんじである。人が歩くと下には車輪がないから、「ぼくっぼくっ」と、足音がやけに響いて、不気味な感じを高める。外から聞くと「がらんごろん」の音が中に乗ると「ぎしぎし」に変わる。内部は普通のバスくらいの幅しかない。ちゃちい。道を走っているどっかの街の路面電車なんかと同等のローテク感で、社内放送は運転手職員のそのまんま、素のしゃべりだ。
 高度がやたらあるわけではない。都内の高速道路やら高いビルがある都会だったら、普通の現象に感じるだろう。首都高だって京葉線なんかだもっと高いところを走っている。ところが、このモノレールは「千葉」を走っているってことで重要な意味を持つ。
 日常的な日本の田舎都市の少しだけ上空は鳥たちだけの領分だった。そこを自動車より速いスピードで駆け抜ける。昭和に開発された古びた日常レベルの家の屋根や庭を空側から見るのだ。しかも、下がない。この不思議感は、そう、遊園地のアトラクションと同等の楽しさだ。
 千葉市民はこのわっくわくの乗り物に毎朝、まじめな顔をして乗って会社や学校に行き、すらーっとした顔で仕事を済ませ、また楽しい、わーい!な乗り物に乗って家に帰る。すべりだいをすべりおりて会社に行くのと同じくらいに、まったくふざけた現象だ。が、そういうおふざけの感じはたまらなくすてきだと思う。
 他県、他市在住のかたは機会があったらぜひ、乗ってみて欲しい。できたら千葉みなと駅から千城台駅までの約30分のコースを全線体験することをお勧めする。からすやすずめの視点が体験できる。

投稿者 midori : 10:59 pm | コメント (0)

なぜ犬が吠える埼なのか?

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「道の駅」という施設が千葉県内にはいくつか散らばっている。トイレの他に、野菜や名産品を直売する売店がくっついていて、買い物と休憩が同時にできる。売店に並んでいるのは地元で取れる野菜や米だけでない。植木や、なんとメダカまで(←食用ではないと思いたい)。
 夏休みを取った。長い旅行に行けないので銚子を選んだ。ペーパードライバー返上後の初ドライブだ。銚子へは千葉市内の自宅から車で一般道を通っても3時間も走れば楽勝で着く。片道100キロ。一般の人々にとっては日帰りで十分のコースなのだが、よねの運転キャリアからすると途方もない長距離に思えた。終点にホテル宿泊のご褒美をつけ、ついでに家族サービス旅行とジョインさせた。
 地図上の銚子市の先っぽを太平洋に突き出した人の横顔に見立てると、本州最東端の犬吠埼は鼻の先に当たる。鼻の下から唇、あごにかけてのカーヴに沿ってホテルや釣り船を出す舟宿が並ぶ。そのうちの一軒でのんびりしている。
 このホテルは波打ち際から20メートルぐらいしか離れていないところに建っている。建物自体はちょっと年期が入ったおんぼろだけど、すばらしい立地だ。部屋からもお風呂からの眺めも、どばーっと海のみ。夕べは波の音を一晩じゅう聞きながら眠った。朝は5時前に起きて日の出とピンクに染まる海を見た。
 ちょっとでぶちん、がっしり派の犬吠埼の白い灯台が、視界の左側に突き出した岩の上に4センチくらいの高さで見えている。夜になって、何秒かにいっぺん、「すーいー」と光が走ってくる様子は、とても美しいものだった。
 犬吠埼をなんで犬が吠える埼と書くのかというと、理由がわかった。字のとおり、犬が吠えたから、だそうだ。その犬は飼い主においていかれて悲しかった。主人が去っていった海に向かって、7日7晩吠え続けたそうだ。
 主人の名前は源義経。逃げ中で近くの小さな島の洞穴に隠れていたが、そこから先は船に乗らなくてはならなかった。それまでずっとお供をしていた犬には平家の亡霊が乗り移ってしまい、いっしょに船に乗せるわけにはいかない状況だったらしい。残された犬の主人を慕う悲しみはものすごかった。(この辺からよねの頭の中では、ソフトバンクのおとうさんが演じている)吠える声はあたり一帯に広がり、義経の耳には隣の長い砂浜の九十九里先まで響いたという。よっぽど大きな声の騒がしい犬だったに違いない。
 銚子に伝わる昔話である。地元の人は義経が逃亡する際、銚子を通過したのだという伝説を堅く信じている。
 銚子っ子の訛りは、他の千葉の田舎の人のとは少し違う。義経伝説を教えてくれた無料の「本日は5時20分発、夕陽を見るツアー」のガイドは、泊まったホテルの事務のおねいさんが兼任。「夕陽」を「ゆうし、ゆうし」と発音していた。東京の下町の人が「ひそひそ」を「しそしそ」というのと同じ感じで。江戸言葉を潮にさらして、しょっぱくした風だ。祖先は利根川を伝って、江戸から移り住んできたのかもしれない。

投稿者 midori : 03:27 pm | コメント (0)

海辺の温泉のまち旅歩き2/路線バスでさくら巡り

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海あそびは楽しい。人が作った物が壊れて自然に帰る経過。二つとない、きれいな色と形と質感を集めてながめて触って、また海に返した。
 チェックアウトを終え、ホテルを出てから列車の時刻までの2時間半をどう過ごすかが、この旅いちばんの急所となります。独り旅であれば、古い街の建物や看板を見てぶらつくのみでじゅうぶんなのですが、親たちの世代は納得しません。

<70代おばあちゃんが満足する旅のスポット 3条件>
1. 「名所」あるいは「旧跡」と読みやすい看板がかかり、建物はパンフレットで見たものと同じであること(観光バス専用の駐車所、大きなトイレなど、団体向けの施設があればなお、気分が盛り上がる)。
2. まんじゅうなどの試食か地域限定のソフトクリームなど、ご当地の食をその場食いできるコーナーがあること。
3. お土産売り場(売り子は地元のおばちゃんで、ふれあいが持てればなおよい)。

 どんなに自然が美しくても、すばらしい遺物を目にしても、70代向けの観光としては失格です(国内海外問わず)。上記3箇条が満たされていない場所では「疲れた」「早く帰りたい」の連発になり、「二度といきたくない」などの酷評をくらうのが通例です。
 車のない観光客の選択肢は、街のどこかで食事をするか、同じ街の山の頂上にある遊園地にいくか、みかんワイナリーを見学するかのいずれしかないようです。かなり難易度の高い選択でしたが、いけてないパンフレットの「試飲コーナー」の文字につられて、えいやあっと、みかんワイナリーの見学を選びました。
 ホテルのバスで駅まで行って、荷物をロッカーに預けます。1時間に1本しかないバスの終点に遊園地はあり、みかんワイナリーは途中の山の中腹で降ります。リュックを背負った地元のおばさんたちの一団と一緒に路線バス乗り場に並びました。

 山に登るくねくね道のところどころで海と海辺の街を見渡せます。バスはセカンドギアでゆっくりゆっくり進みます。あちこちで木々が明るく花の咲かせており、思いもかけないドライブとなりました。街を一望できるちょっと開けた場所に大盛りの満開の桜の広場がありました。地元の県立高校のグラウンドです。「いいなあ。こんな景色のいい高校入学したいよ。」とよねが言うのをバスの前の座席の地元のおばちゃんが聞いてて、「こんのがっこうは景色ばあっか見てるだで、頭のほうはさっぱりなんだよなあ」と口出ししてきました。
 「みかんワイナリー」という停留所でバスを降りたのはよねたちだけ。みかんワイナリーと書かれた立派な看板も、団体客用のバス発着場も、きれいで大きなトイレもありますが、お客はわれわれの他にはだれもおらず、工場かな?とおぼしき建物に「ご自由に見学してください」という看板がかかっています。
 建物の中は薄暗く静まりかえっています。廊下にはたしかに、見学用の「みかんワインができるまで」というパネルはかかっており、パネルの写真のような醸造タンクやみかん選別場らしい場所はあるのですが、機械は止まっています。1人も仕事していません。見学ルートはあっという間に終わって外に出てしまいました。敷地には、広くて大きなビニールハウスはあるものの、中は空っぽの陳列台と植木鉢とテーブルが並んでいるだけです。
 「なあんだ、これだけー」と母が言い、よねは一瞬「しまったー。あのおばさん達と頂上の遊園地まで行けばよかったかなー」と後悔しました。ところがこの後、一発逆転が起こったのでした!
 事務所には人がいて、よねたちの動きをみはからっていたのだと思われます。さっきは誰もいなかった売店にエプロンをした女の人が待ち構えていて、よねたちを招き入れました。手際よくワイングラスを7つテーブルに並べ、冷蔵庫から冷えたワインを取り出すと、ひとつひとつのグラスに1銘柄ずつ7種類の飲み物をつぎつぎ注ぎました。
 品揃えは、1. 季節限定桜ワイン、2. 甘口みかんワイン、3. 甘くないみかんワイン、4. みかんのリキュール、5. アロエ液を甘いワインで割ったもの、6. アロエ液原液、7. アルコールなしのみかんジュース、の7種類です。他にお客がいないので、時間をかけてこれらの品の説明を聞きました。みんなでグラスをまわして飲み比べて、母がじっくり組み合わせを迷っている間によねはおかわりまでいただきました。
 景色はいいけど工場も動いておらず、商魂もたくましく、かなり「やられた」感のある観光ポイントでしたが、今回はこちらを選んでみごと正解だったのです。一瞬ひやりとしましたが、70代旅の査定条件「看板」「その場食い」「お土産」を3部門ともみごとクリアーしているのでノープレブレム。一行は気持ち良くほろ酔いでワイン工場を後にしたのでした。
 先ほどバスで登ってきた道を駅まで、今度は徒歩で下ることにしました。小1時間歩いて街に着くころ、ちょうど列車の時刻になる予定です。だらだらの下り坂は膝に厳しいので、きつそうだったら途中でタクシーを呼ぼうと思ってたのだけれど、両親とも楽勝で歩いていました。眺めのいい高校で小休止。桜にすっぽりつつまれた校庭にこっそりお邪魔しました。ポットにつめてきたお茶でのどを潤します。たわわに桜が咲いてる下で風が吹くと、桜吹雪もすばらしい!(伊豆旅行終わり)

投稿者 midori : 05:34 am | コメント (0)

海辺の温泉のまち旅歩き1

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桜があまりにきれいで、思わず不法侵入しちゃった県立高校。ブログタイトルどおりのカテゴリーの「旅はいいなあ。」を、やあーっとお届けできますです。
 はい。よねです。春休みの旅をしてきました。行き先は伊豆。旅の仲間はよねの家族です。
 家族でどこかに出かけて、意見が食い違い、現地解散になったことは数しれません。よねの家族はよねに輪をかけてきまぐれ&思いついたら我慢できない派です。ですが、今回は母が申し込んだ行き帰りの鉄道込みのパック旅行です。はぐれとけんか別れは避けなくてなりません。どこへでもパソコンしょっていくよねですが、久しぶりの家族旅行のサービスに集中するため、マシンとバッテリーは家に置いて旅立ちました。
 10時に家を出て、東京駅のグランスタで弁当と酒をゆっくり選び、12時過ぎの踊り子に乗り込みました。伊豆急の稲取まで2時間半の道のりです。今年は偶然、桜の開花時期が4月にずれこみ、千葉〜品川〜横浜〜伊豆と道のりがずっと満開の桜で色づいていてきれいでした。
 稲取駅ではマイクロバスが迎えに着ており、ホテルに到着するとほぼ3時でした。宿は海の際ぎりぎりのところに建っており、お風呂からも部屋からも海が見渡せます。パソコンを切ったおかげで、ばっちり、なーんにもしない隙間の時間が味わえました。温泉2時間とアロママッサージと海のごちそう+ビールジョッキ複数杯でこの上なくありがたく出来上がり、8時過ぎには眠くなりました。「もう一回お風呂行く」といったままそのまま気を失ったそうです。
 
 翌朝は4時半に気がついて、風呂場に直行。温泉から、海がだんだん明るくなっていくのを楽しみました。
 朝ご飯までにまだ2時間近くありましたが、パソコンもないので散歩するしかないでしょう。独りでホテルを抜け出しました。早朝です。陸ではだれにも会いませんでしたが、海上には釣りの船が何艘か出ていました。ホテルの前の海岸は岩場です。1人のときにうっかり転んで動けなくなったりするとおおごとなので、おとなしく防波堤をの上をずっと歩くだけにしました。
 船を引き上げるために波を切っているところが一カ所あって、少しの幅の砂浜を見つけました。波打ち際まで降りられます。打ち寄せられたガラスのかけらやへんな形の石ころを探して遊びました。
 そんなに寒くも暑くもなく、ちょうどいい気温だったので、靴を脱いで少し体操をしました。周りに誰もいないのを確かめて「たびはいいなあぁ〜」と海に吠えてみました。(つづく)

投稿者 midori : 10:45 am | コメント (0)

旅について思うこと

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ゴールデンウィークをどうお過ごしですか?旅してますか?よねは1日おきで美術館行き。本日は千葉市立美術館。付属の図書室で調べもののため。11階のレストランは空を眺めるのに最適なロケーション。
 旅について、思うことを書こうと思います。
 まず、わたしにとっての「旅」は「旅行」という言葉と厳密にいうと違うのです。「バス旅行」とか、「修学旅行」とかみたいに、時間を守って、みんなと同じ行動とる努力を要するのが、「旅行」かな。スケジュールがセットになってるツアーの海外旅行とかもこのチーム。
 「旅」という言葉には、どこにたどりつくかわからない、どういう顛末が待っているかわからない、といった不確定の成分が含まれている。

 よねの父は北海道出身、母は福井県出身。二人は東京の銀座で出会って、結婚して、愛の巣は品川区の戸越で、両親ともども親孝行だったので、わたしは幼いときから、長い休みごとに、「北海道のおばあちゃん」と「福井のおばあちゃん」の家をかわるがわる行き来した。
 1年でいっぺんの帰省。今年はどちらに帰ろう?という話題は前の季節からたびたび食卓にのぼる。旅にかける両親の意気込みが子供にも伝わった。
 チケットを取る前の大騒ぎ。お土産の準備。旅行かばんの中身を詰める。久しぶりに親戚に会うはればれした気持ちや、別れのときの切ない感情。旅を境に両親が生き返るのを肌で感じた。父と母にとって、元気でうれしい旅を実行できることが、生きることの最大の目標だった時代があったのだ。両親の旅に対する特別な思いが、わたしにはしみ込んでいる。
 
 今でも北海道の親戚は、北海道以外の日本国土を「内地」と呼ぶ。今でこそ、近くなったが、わたしが幼い頃は、寝台列車に乗り、青函連絡船で海峡を越え、道内をまた1日じゅうかけて走る旅路。よく耳にする演歌の歌詞みたいだが、ほんとに2日がかりのアドベンチャーだったのだ。距離と時間の隔たりの感覚は現代のヨーロッパやアメリカ行きの海外旅行の感覚に等しい。電話だって長くはしゃべれなかった。東京に独りで乗り込んできた父と母の境遇は、現代のアジアや他の外国からの留学生と変わらないのではないかと思う。
 千葉県の千葉市にわたしの家族が落ち着いて40年近くたつ。会いに行く「おじいちゃん」「おばあちゃん」はとっくに亡くなり、親は年金生活に入っている。が、わたしは最近ときどき、自分が両親の「旅」を受け継いでいるのではないかと思う瞬間がある。
 季節の変わり目などに、強い風が吹くと、「もう、行かなくちゃ」と、口にしている。行く場所などどこにもないのに、だれとも約束なんかないのに、心のどこかが、ざわつく。本能がささやいているのか?。渡り鳥みたいに。
 先へ先へ。今よりも先へ。どこに行くというのか、自分でもわからないのに。

投稿者 midori : 12:44 am | コメント (0)