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旅について思うこと

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ゴールデンウィークをどうお過ごしですか?旅してますか?よねは1日おきで美術館行き。本日は千葉市立美術館。付属の図書室で調べもののため。11階のレストランは空を眺めるのに最適なロケーション。
 旅について、思うことを書こうと思います。
 まず、わたしにとっての「旅」は「旅行」という言葉と厳密にいうと違うのです。「バス旅行」とか、「修学旅行」とかみたいに、時間を守って、みんなと同じ行動とる努力を要するのが、「旅行」かな。スケジュールがセットになってるツアーの海外旅行とかもこのチーム。
 「旅」という言葉には、どこにたどりつくかわからない、どういう顛末が待っているかわからない、といった不確定の成分が含まれている。

 よねの父は北海道出身、母は福井県出身。二人は東京の銀座で出会って、結婚して、愛の巣は品川区の戸越で、両親ともども親孝行だったので、わたしは幼いときから、長い休みごとに、「北海道のおばあちゃん」と「福井のおばあちゃん」の家をかわるがわる行き来した。
 1年でいっぺんの帰省。今年はどちらに帰ろう?という話題は前の季節からたびたび食卓にのぼる。旅にかける両親の意気込みが子供にも伝わった。
 チケットを取る前の大騒ぎ。お土産の準備。旅行かばんの中身を詰める。久しぶりに親戚に会うはればれした気持ちや、別れのときの切ない感情。旅を境に両親が生き返るのを肌で感じた。父と母にとって、元気でうれしい旅を実行できることが、生きることの最大の目標だった時代があったのだ。両親の旅に対する特別な思いが、わたしにはしみ込んでいる。
 
 今でも北海道の親戚は、北海道以外の日本国土を「内地」と呼ぶ。今でこそ、近くなったが、わたしが幼い頃は、寝台列車に乗り、青函連絡船で海峡を越え、道内をまた1日じゅうかけて走る旅路。よく耳にする演歌の歌詞みたいだが、ほんとに2日がかりのアドベンチャーだったのだ。距離と時間の隔たりの感覚は現代のヨーロッパやアメリカ行きの海外旅行の感覚に等しい。電話だって長くはしゃべれなかった。東京に独りで乗り込んできた父と母の境遇は、現代のアジアや他の外国からの留学生と変わらないのではないかと思う。
 千葉県の千葉市にわたしの家族が落ち着いて40年近くたつ。会いに行く「おじいちゃん」「おばあちゃん」はとっくに亡くなり、親は年金生活に入っている。が、わたしは最近ときどき、自分が両親の「旅」を受け継いでいるのではないかと思う瞬間がある。
 季節の変わり目などに、強い風が吹くと、「もう、行かなくちゃ」と、口にしている。行く場所などどこにもないのに、だれとも約束なんかないのに、心のどこかが、ざわつく。本能がささやいているのか?。渡り鳥みたいに。
 先へ先へ。今よりも先へ。どこに行くというのか、自分でもわからないのに。