« サラリーマン時代の台風の日の思い出 | メイン | ギフトショウでいいものみたみた »

なぜ犬が吠える埼なのか?

090815.jpg
「道の駅」という施設が千葉県内にはいくつか散らばっている。トイレの他に、野菜や名産品を直売する売店がくっついていて、買い物と休憩が同時にできる。売店に並んでいるのは地元で取れる野菜や米だけでない。植木や、なんとメダカまで(←食用ではないと思いたい)。
 夏休みを取った。長い旅行に行けないので銚子を選んだ。ペーパードライバー返上後の初ドライブだ。銚子へは千葉市内の自宅から車で一般道を通っても3時間も走れば楽勝で着く。片道100キロ。一般の人々にとっては日帰りで十分のコースなのだが、よねの運転キャリアからすると途方もない長距離に思えた。終点にホテル宿泊のご褒美をつけ、ついでに家族サービス旅行とジョインさせた。
 地図上の銚子市の先っぽを太平洋に突き出した人の横顔に見立てると、本州最東端の犬吠埼は鼻の先に当たる。鼻の下から唇、あごにかけてのカーヴに沿ってホテルや釣り船を出す舟宿が並ぶ。そのうちの一軒でのんびりしている。
 このホテルは波打ち際から20メートルぐらいしか離れていないところに建っている。建物自体はちょっと年期が入ったおんぼろだけど、すばらしい立地だ。部屋からもお風呂からの眺めも、どばーっと海のみ。夕べは波の音を一晩じゅう聞きながら眠った。朝は5時前に起きて日の出とピンクに染まる海を見た。
 ちょっとでぶちん、がっしり派の犬吠埼の白い灯台が、視界の左側に突き出した岩の上に4センチくらいの高さで見えている。夜になって、何秒かにいっぺん、「すーいー」と光が走ってくる様子は、とても美しいものだった。
 犬吠埼をなんで犬が吠える埼と書くのかというと、理由がわかった。字のとおり、犬が吠えたから、だそうだ。その犬は飼い主においていかれて悲しかった。主人が去っていった海に向かって、7日7晩吠え続けたそうだ。
 主人の名前は源義経。逃げ中で近くの小さな島の洞穴に隠れていたが、そこから先は船に乗らなくてはならなかった。それまでずっとお供をしていた犬には平家の亡霊が乗り移ってしまい、いっしょに船に乗せるわけにはいかない状況だったらしい。残された犬の主人を慕う悲しみはものすごかった。(この辺からよねの頭の中では、ソフトバンクのおとうさんが演じている)吠える声はあたり一帯に広がり、義経の耳には隣の長い砂浜の九十九里先まで響いたという。よっぽど大きな声の騒がしい犬だったに違いない。
 銚子に伝わる昔話である。地元の人は義経が逃亡する際、銚子を通過したのだという伝説を堅く信じている。
 銚子っ子の訛りは、他の千葉の田舎の人のとは少し違う。義経伝説を教えてくれた無料の「本日は5時20分発、夕陽を見るツアー」のガイドは、泊まったホテルの事務のおねいさんが兼任。「夕陽」を「ゆうし、ゆうし」と発音していた。東京の下町の人が「ひそひそ」を「しそしそ」というのと同じ感じで。江戸言葉を潮にさらして、しょっぱくした風だ。祖先は利根川を伝って、江戸から移り住んできたのかもしれない。