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17 augustus 2011
Mac Book proは熱い!卵が料理できるかもよ
旅行のときに大人買いした歯磨きチューブが1本だけ発掘。すんごい前のものだけど、勇気出して使ってみた。変な味しないし、相変わらず気持ちいい。また欲しいけど、同じ物はもう作ってないみたい。ネットで探したけど。アルプスの山描いて清涼感出すって、日本人は思いつかない発想だよね。ヨーロッパのパッケージデザインに山の絵はよく出てくるけど。
残暑お見舞い申し上げます。
大学の前期授業がやーっと終了して、おとといから家におります。たまりにたまっていた制作作業をひとつひとつ片付けて、なんだかやっと憂鬱から抜け出た。なあんだ、落ち着いてやれば終わるじゃないかー。がりがりぱちぱち。2日間ずっとhtml書いてます。
3月の震災のときも思ったなあ。家で稼げるなんて、ほんとうにありがたい。電車に乗らなくても出かけなくても、家でなんとか納品できる夢の仕事スタイルが実現してます。
すてきなのは眠くなったらぱっと15分ぐらい眠って、ぱりっと復活したら、ばりばり冴えた頭でまた集中できるってこと!暑くてもへーきへーき。だって、お化粧もしないし、ストッキングもはかなくていいんだもん。すきなときにお昼寝しながら、快適に飛ばしてまーす。
心は晴れ晴れなんだけど、その分体がばりばり。今日は早めに夕食を済ませて、近所の温泉に行く予定。
最近の心あたたまる我が家のニュースをひとつ。ipadをもしや、と思って親たちに貸し出してみた。ipadは南風堂の仕事では、MacBookAirを買ってからここんとこ、しばらく出番がなかったので。
父には将棋、母には麻雀のソフトを入れてあげた。将棋のソフトには羽生名人が出てくる。「あいはぶしょうぎ(←ぷっ。)」って名前。
そしたら、二人で取り合い。すんごい感謝されちゃいました。携帯メールも打てなかった70代男女にもちゃんと戦えてます。質問ちっとも来ない。ipadすばらしー。
投稿者 midori : 06:24 pm | コメント (0)
11 augustus 2011
モノに命を感じてしまう件(千葉市美術館浅川伯教、巧展その2)
昨日の焼き物の展覧会投稿のつづきっす。きれいな形を見ることにより、ゆううつ解消。もーぜんとスウィッチが入ったなり。
李朝の壷は日本のやきものと違って、表面がでこぼこしていない、滑らかな白っぽい、だけど完璧なまっしろじゃない豆乳みたいな色の焼き物です。
毎日の生活用品として実際に使用されていたものだから、日々の生活の用に耐えうるためのとっぷりした厚みと機能用のきれいな形がある。美術品として作られたんじゃないので、表面に繊細な加工を施したというものにはない優しさと心配りがある。
形じたいに命ぢからがあるとでもいいましょうか。
つくづく、こういう生命力がたりないから悩むのだなあ〜と思った。
立っているだけ、いるだけで安心する美。存在じたいがきれいなもの。
これは、彫刻でも建築でも紙でも、それから人でもおなじだね。表面的飾りよりもっと奥底のきれいさだ。
なんていうのかなー。壷でもなんでもそのもの自体が息をしている感じ。それも眠っている動物みたいな静かで力強い呼吸。しているわけないんだけど、完璧なシンメトリーじゃなくてかすかに歪んでいるので、視点が揺らぐと、物も微かに揺れたみたいな錯覚が起きるんだよねー。
この美を別の分類の言葉でいうと「安心」とか「安定」とか「楽しさ」が値すると思う。
この壷たちは、生きて行くことを感謝して喜んで、人のためになるモノを作ろうとした力つよい人たちの手で、土を堀り、磨き、こねられて、形がとられて、削られて、焼かれて、絵がつけられて、それから出来上がりが使われて、残って、選ばれて、大切に運ばれて、大切にしまわれてきた。
だから、今わたしの目の前にある。それってすごいことだと思う。そういうのが力、なんだと思う。
許されるなら、触りたーい。もっと許されるなら、あの壷を抱えたーい。だっこしたーい。そこからくんだお水を一服、飲みた〜い。
もちろんそんなこと許されないので、眺めることしかできないのだけど。
でも、「そのものじたいの美」というものを知りたい人は、ぜひ、見に行ってください。
モノたちのちからが目から入って元気をもらえるよ。
ほーんと、ひとつひとつの壷や器の中になにか精霊が潜んでいるんじゃないかと思っちゃうくらいの元気さだから。
バーチャルでもリアルでも。ちからのあるモノってすごいよね。ばーっと、作られた場所やその道具を使っていた人たちの時代と時間に、タイムスリップできるし。
投稿者 midori : 04:39 pm | コメント (0)
10 augustus 2011
浅川伯教&巧ブラザース
これはいったい、なんでしょう?正解はCDーRが重なって入っているのを横からみたところ。なんでもないものなので、ばかみたい、って思うものからでも、きれいな色のサンプルが取れる。
昨日から千葉市立美術館で始まった美術展は「美の壷」。いや、正確なタイトルは「浅川伯教 巧兄弟の心と眼ー朝鮮時代の美」。
浅川伯教さんってのは、日本がお隣の朝鮮を統治していた時代に、朝鮮に渡って朝鮮に住み着いて焼き物を研究した人。
この人が李の時代の焼き物を日本に広めた。ほいで、この人と柳宗悦さんなんかと友達だったので、浅川伯教のとこに柳宗悦が遊びにいったりとかして、李朝の魅力が広まり、日本の民芸運動が花開く。日本の工芸史のキーパーソン。けど、よねもこの美術展を見なかったらあえて名前を覚えなかったな。
伯教自身も土を仕事にしている人なのだけども、それよりも、この時代、朝鮮じゅうの骨董屋をめぐって、うもれてた宝物を選んで集めたってことがすごい功績です。
朝鮮に住み着いて、焼き物の工房の研究もして、骨董品についての魅力についての本を書いたり、大正時代の雑誌に発表したりした。伯教が紹介したり、たいせつに眺めていてた壷やら器たちが、現在の美術館の李朝コレクションの核になっている。
ごめんよー韓国の人。いいものこんなに日本に持って帰ってきちゃって。韓国からの留学生もぜひ、見に行ってね。すばらしいから。(美術展の展示品は陶器と古い文献なんだけども、見てると韓流の時代劇のシーンが思い浮かんでくるよ。そういう世界が好きな方には超おすすめ)
投稿者 midori : 01:32 pm | コメント (0)
08 augustus 2011
アンチ・ダンシャリヤン(片付け大作戦2)
台風が来てからずっと風が強い。いろんな雲が生まれて去っていく。空はいちばん身近な大自然。あたりまえの色に癒される。
会社勤め時代に谷山さん(仮名)という先輩の隣の席だったことがある。
谷山さんは当時の社長とじきじきに、会社のいろんな重要事項を運営していて、ほかの社員とはがっつり距離があった。管理職からも恐れられていたと思う。よねの前任者は谷山さんに徹底的にいじめられたという話だった。
「谷山さんには気をつけなさいよ」
他の先輩から忠告を受けたこともある。谷山さんの隣の席になることが決定して「うまくやっていけるかな」と心配だった。しかしなぜか、谷山さんはよねに対して、「隣の先輩以上」、「肉親以上」といってもいいくらい、気を遣ってくださったのであった。
例えば、時間にルーズだったよねのタイムカードを預かってくださってて、毎朝、遅刻にならないように、しかし、矛盾しないような刻を選んで、良い時間にぴしっと打刻してくださった。おかげでよねは、毎朝、エレベーターの前でどきどきしたり、非常階段を駆け登ったりしなくても良くなった。よねがお願いしたわけではない。谷山さんから「わたしに預けておきなさいよ」とお申し出があったのだ。いっしょに飲みにいくと、よねが電車を降りる時間を調べておいて、直前にかならず携帯電話を鳴らしてくださるというふうに。親切をしはじめると、とことん親切になる方だった。
よねはダメ社員だった。それに出世欲も政権略奪にたいしての欲も根回しもなく、目の前のデザインに対してだけ頑固だったので、谷山さんにとってはわかりやすい女だったのかもしれない。
またたいそうな「のんべ」で、谷山さんの飲みのお伴も十分こなせた。そのころの谷山さんのがんばりぶりを思うと、多少おばかだったとしても、ダメ社員だったとしても、話が通じる相手が隣の席に来たのは嬉しいことだったのだろうと思われる。
谷山さんは整理整頓がとても上手で、机の周りはいつもぴっちり、きちんとしていた。
毎朝のぞうきんがけの際は、電話の受話器のぐるぐるのコードまで丁寧にのばしながら時間をかけてふいていらした。椅子は製図なんかの道具で消しゴムかすを払うための鳥の翼型の羽でほこりをはらう。ときどきよねの椅子も、製図用鳥の羽で払ってくださった。(毎日ではなかったが、それが「あんたも掃除しなさい」のサインだと受け止めてた)
よねの席の周りには、印刷所から戻ってきた使用済みの版下やら資料やらがいつも積み上がっていた。谷山さんの席の方にまで、荷物が飛び出すことはしばしばあった。しかし、整理整頓がなっていない、ということで苦情を言われたことは一度もなかった。
よねの席の隣はさぞかしストレスだっただろうに。
家を片付けたくて「段捨離」の本を購入した。本に取材されている片付いた家の写真を見たら、谷山さんのお宅を思い出した。
ある日、酔った勢いで谷山さんのマンションに泊まることになった。玄関には一足も靴が出ておらず、ほこり一筋もないぴっかぴかの下駄箱の上に、ちいさなお人形とお花がディスプレイされていた。「家庭画報」のグラビアのように。
玄関だけでなくどこもかしこも整っていた。リビングのテレビの前に座布団が正しく敷いてあり、その上にぬいぐるみが10体ぐらい顔をテレビの方を向けてきちんと背の順に一列に並べてあった。赤ちゃん言葉でお人形に話しかける谷山さんに驚いた。
主人は今日はいないから、と、ふりふりの付いたパジャマと布団を用意してくださった。よねがお風呂を使わせていただいて出てみると、谷山さんはエプロンをしてキッチンでてきぱき雑炊を作ってくださっていた。真夜中の12時過ぎの話である。
大きく表紙に「断捨離」と印刷された本は買ってはみたものの、ちょっと開いただけでザゼツした。見出しだけを飛ばし見。詳しく読むことは脳が拒否。しかし、谷山さんのことが思い出せたので買ってよかったと思う。
過去にも今にも、こだわりばかり、自分大好き、煩悩の固まりのよねである。ダンシャリヤンにはなれない。捨てたくないもので人生あふれている!(そもそも、物には命があると思ってしまうし。)
片付かないのは困る。断捨離以外の掃除の方法を見つけよう。
投稿者 midori : 08:39 pm | コメント (0)
07 augustus 2011
家でドリームパーティー(片付け大作戦1)
「なる」茶碗と「た」茶碗。そう、ここは成田山。茨城の友人とちいさんぽ。御休憩所にておやつのパンを食べる。へこたれたときには神頼み。涼やかな風に癒されて、パワースポットできゃあきゃあ騒いで、夏のやる気にスウィッチが入った。
そういえば、パーティーって、最近あまり出ていないなあ。
飲み会ではなく、パーティー。
立食でもテーブルに座ってでも、料理が高いとか安いとかどうでもいいんだが、飲み物がビールだけでなく、シャンパンとワインが出てくるやつ。
会社員のときって、名前を知ってもらったほうがポイントお得!知り合いはは多ければ多いほどよしっ!みたいな勢いで、名刺配りまくり。あんまり自分に関係ないパーティーでも、どんどん出席していたよなあ。
「めずらしいワインを開ける」とか「○○さんのお話を聞く」とか、いろんな名目でパーティーもたくさんあったなあ。ああいう夜って、今でも誰かが同じように過ごしているんだろうか?あのときあそこにいた人たちって、今はどうしているのかしら?
お祝いごとに呼ばれる機会が機会がぐっと減ったせいもあるし、いっしょに仕事をしていた人たちも会社を退いたり、家庭に入ったりして、交遊地図がせばまっているせいもある。仮に誘われたとしても仕事が休めなかったりでほとんどをお断りしている。ここ数年、土日が仕事で体が空かないし、学校の先生業始めてからは、平日は夜も授業入るから、18〜19時始まりのイベントにはほとんど伺えない。授業の走っている時期の出かけない日は、授業の準備と家仕事で精一杯で、わざわざ出かけなくていい日に出かけたくないと感じるスローな年齢になってしまいました。
積極的に営業をしまくらなくてもよいという幸せな状況であるということでもあるかもしれないけど、ときどき、ぽつねんと淋しくなるときがある。仕事ばかりしているもんなあ、最近。
こういうときの息抜きって、旅じゃないんだよなあ。パーティーなんだよなあ。
友達に来てもらえるくらいに家を片付けて、料理作って、家でパーティー開きたいなあ。千葉の田舎にようこそ!。
そのころには地震も原発も落ち着いて、食べ物の心配も交通機関の心配もしなくてよくて、安心してみんなに千葉県に来てもらって笑い合えるようになってますように。
投稿者 midori : 11:19 am | コメント (0)
06 augustus 2011
たいへんな坂道
へー。こんなとこ、バスが走るようになったのかー。ちょうどやってきたいつもとは違う行き先の路線バスに飛び乗った。見慣れた風景もバス目線だと違う町並みに思えた。
茨城に住む友人と千葉の佐倉で待ち合わせてお茶をした。
「やせたみたい」と言ったら、「血尿が出て、しばらく調子が悪かった。もうなおったけど、体重が戻らない」ということだった。
地震でしょっちゅう揺れてる日々が続いて、やっと落ち着いたと思ったらこんどは近所に放射能のホットスポットができた。申し出れば罹災証明が出る地域だそう。
たいへんなのは自分だけかと思ってた。友人や知り合いからも「たいへーん」をここのとこたびたび聞く。そうか。みんながたいへんなのか。じゃあ、たいへんをなんとか楽しく変えなきゃーね。なにかスウィッチを考えよう。魔法のスウィッチ。
春の疲れがたまって、今ごろこたえてる気がします。自分の能力が衰えたせいかもしれないけど。なにかと疲れたー、っと声に出ます。そんなとき、最近よねの頭の中には「たいへんな坂道」が流れる。少年合唱団バージョンで。
小学校のときに音楽の時間にならった輪唱曲なんだが、たいへんなさかみち、たいへんなさかみち……。同じ歌詞が続くひょーきんな歌。
調べてみたらば、原曲はスイス民謡で、ちょっぴりあほなでたらめみたいな歌詞は、岡本敏明(1907年~1977年)という音楽の先生作。正しくは「坂道」という題だそう。おしまいが、「じーさん、まっとくれーよ、わしゃーとってものぼれないー」というの。こどものときは、なんてばかな歌!と思ってたが、大人になってみると、うまくつけたもんだなーと思う。
青田がもりもりと勢いを増し、お百姓さんも、稲さまたち自身もベストを尽くしてる。いつもの年なら「きれいだなー」と心を打たれるところだけど、今年はもしかすると我が千葉県近所だって汚染を受けたかもわからず、テスト待ちな緑に複雑な気持ちです。切ないのーう。