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21 mei 2008
ビジネスについて考える
先週末から集中して、「ネット起業」系の本を4冊まとめて読みました。ビジネスマン御用達の大きい書店の「起業・開業」コーナーに並んでいた本の中から、発行年月日が新しいものだけを選んだ。
「個人で挑戦するネットビジネスって、どんなやり方があるんだろう」という、素朴な興味から。わたしも独りで仕事している派ですが、自分のやり方はだれにでもおすすめできるほど楽じゃない。でも、後から人は続く。
いったん仕事をやめた主婦や病弱な人が、普通の仕事よりずっとハードなネット系デザイン系の会社に採用される可能性はとても低い。ハンディがある人でも、なんとか食べていける確実なビジネスのモデルはないものでしょうか。自分の部屋で仕事している他の人は、どういうビジネスしているんだろう?と思って。
4冊ともとても文章力のある方が書いていて、読みやすくわかりやすかった。サクセスストーリーとしてなら、文句なしの良エンターテイメントだったけど、ちょっと苦い思いが読後に残りました。ですので、本の名前は紹介しません。
「アファリエイト」について、どの本にも語られていた。サイトに張り付いている広告で収入を得ることだっていう言葉の意味は知っていたけど、それがどうして生活できるまでの収入になるのか、具体的にどういうトリックをしかけているのかは、今まで詳しくは知らなかった。
ちなみこのページにもアマゾンのタグが貼り付けてある。こういうバナーにはたいていプログラムが仕掛けてあって、たとえばアマゾンのシステムは、もしも読者がこのバナーに書名を入れて、検索してくれて、そこから購入してくれると、本の値段の数パーセントがよねに還元される仕組み。(とはいっても、このサイトのアマゾンバナーはほとんどよね自身のために働くのみ。1年間でけっこうな額の本をアマゾンから買うので、4ヶ月ごとにほんのちょっぴり還元がある)。そんなことぐらいしか知らない。「ひゃあ、世の中でこんなことが起こっていたのか」とちょっとびっくり。
訪れる人を増やすためにコンテンツを工夫して、堂々中身で勝負しているアファリエイターもおられることだろう。広告のデザインやプログラミングを仕事にしているクリエイターだっていっぱいいる。広告やアファリエイトを否定するつもりはない。でも志の高くないアファリエイターがそれ以上にいることに恐怖を感じる。
ヤフーやグーグルなどの検索で優遇されるために、堂々インチキサイトがアップロードし続けられている。また、むやみに自分とは関係のないメールが山ほど届くしかけも、それをクリックするだけで、アファリエイターにどのように還元されるのかも、本にはリアルに語られていて、暗い気持ちになる。金融や風俗などの広告以外には役割をもたないページが毎日何百何千も生産され、意味のないページにネット全体がかしいでいる。
教え子たちが泳いで渡っていかなくてはならない未来の海。泳ぎきるための基礎の知識と体力をちゃんとつけて欲しい。心から願う。
よねにとって、アファリエイトは「なんとかドーナツ」みたいな印象だ。いま現在は、すごくおいしいんだろうけど、ちょっと未来で同じ方法は使えない。筆者たちは「こんなにおいしい」と軽く言ってのけているが、じつはものすごい働き者。それに実作業にはWebの専門知識と根性、こまめさが必要。時間と戦える人だけが生き残れる厳しい世界だ。ここも。
投稿者 midori : 04:26 pm | コメント (0)
15 mei 2008
おつまみ横丁
アボガドとまぐろのメキシコ風。マグロは2cmくらいの角切り。アボガドは種と皮を取り、半分は2cmの角切り、半分はつぶして、マヨネーズ・タバスコ・にんにくのすりおろし・塩・こしょうで味付け。そこに角切りのアボガドとマグロをあえる。火を使わないでたった5分。海苔の上に熱いご飯といっしょにのっけて巻くとさらに美味!
最近いちばん、気に入ってるレシピ本「おつまみ横丁 すぐにおいしい酒の肴185(池田書店)」。食事のときのテーブルに備えてある。写真がおいしそうで、作り方もおもいっきりシンプル。ほとんどレシピがだいたいスリーアクション、10行くらいで納まっている。実際作ってみると、どれもハズレなし。失敗しっこなしの簡単さ。よねもよねの母もお茶や食事の度にぺらぺらめくり、「あ、これ。作ってみよっと」となる。ものを説明する系の本で、これほどわかりやすい本はめったに巡り会わない。千葉の本屋で買ったのだけど、きょう、アキバのヨドバシの有隣堂にいったら、平台いっぱいにならべてあった。よねにとっては、マニュアルや説明書の例としても、ものすごい参考になる良書。
有隣堂へは仕事の後、Illustratorのいい本がないかと思って寄った。お目当てのコンピューター書籍のイラレ、フォトショの棚の前は、学生らしき男子が2名、集中して張り付いていて、ちょっと割り込める雰囲気ではなかった。「わたしのクラスの生徒じゃありませんように……」と、ちょっとどきどきしながら、隣の「MacOS」棚の前から斜めぎみにイラレの棚の背表紙を見ていたのだが、斜めに見ていたせいか、若者に遠慮したせいか、いつもなら目に留めない本を手に取ってしまった。「基礎から匠の技まで ドット絵の教科書(西村将由・著/きたみりゅうじ・監修 アスペクト)」。
ドット絵とは、携帯や昔のゲームなどでよく見る、かくかくしたイラスト。小さなものなら、PhotoshopやIllustratorを使わなくともWindowsに元から入っている「ペイント」などで楽勝で制作できる。線のこつや影の作り方などのテクニックをわかりやすく書いた本。中身のイラストのかわいさにつられ、つい購入してしまった。
うーむ。グラデーションメッシュのテクニック本を買いに行ったはずなのになあ。
投稿者 midori : 09:08 pm | コメント (0)
08 mei 2008
ムーミン谷の彗星
そっかー。彼らは、はけんしゃいん、なのかー。はたらくキャラクター、なんかかっこいいな。「ともだちのしるし」と言って配っていた。子どもしかもらえない。大切そうにしまおうとしていたのを、となりの子どもからお借りした。子どもの間で名刺交換、はやるかも。
「あれがみな、きみのものなの。」
と、スニフは小声で言いました。
スナフキンは、平気な顔で、
「ぼくが、ここに住んでいるうちはね。じぶんで、きれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界中でも」
「あれをいくつかもらっていい? 帆前船でもスケートでも買えるもの。」
スニフがわくわくしながらききました。
「すきなだけ、とれよ。」
と答えてスナフキンはわらいました。……スニフはふうと息をついてから、ふるえる手でガーネットをあつめだしました。……(下村隆一訳 講談社青い鳥文庫「ムーミン谷の彗星」から)
きのう、おとといと、ちょっと気が重くなる案件が続き、すこーし気分が沈んでいたため、出がけに童話をバックに放り込んで家を出た。昔、読んでるはずなんだけど、細部を忘れているので、初めて読むみたいな気持ちで向かう。
彗星っていう、重苦しい現実がムーミントロールたちの毎日に張り付く。日に日に大きくなる夜空のルビー。風景が刻々と変化するのは、まるで現在の私たちの世界の温暖化と同じ。干上がった海を竹馬で渡るシーンは恐怖。
パパから言い渡された課題をつらぬく冒険に出たムーミントロールとスニフは、旅が進むほどに、自分たちが立ち向かっている彗星の本当の恐ろしさを知っていく。旅自体も子どもにはたいへん過酷な道のりで、難関が同時に二人におそいかかる。「ムーミンって楽しくない、ちょっと怖い話だわ」という印象は、この第2巻の暗さのせいかもしれない。
でもね、ちっちゃな生き物たちは、大切な仲間と巡り会う。たいへんなときでも、いつものどおりの口げんかをし、踊りたくなったらダンスをする。大切な発見をいくつもする。自分ちのベランダのすてきさ、とかね。旅、というか、生きていくことの意味が隠されている。すてきな話だった。
投稿者 midori : 11:07 pm | コメント (0)
03 mei 2008
旅について思うこと
ゴールデンウィークをどうお過ごしですか?旅してますか?よねは1日おきで美術館行き。本日は千葉市立美術館。付属の図書室で調べもののため。11階のレストランは空を眺めるのに最適なロケーション。
旅について、思うことを書こうと思います。
まず、わたしにとっての「旅」は「旅行」という言葉と厳密にいうと違うのです。「バス旅行」とか、「修学旅行」とかみたいに、時間を守って、みんなと同じ行動とる努力を要するのが、「旅行」かな。スケジュールがセットになってるツアーの海外旅行とかもこのチーム。
「旅」という言葉には、どこにたどりつくかわからない、どういう顛末が待っているかわからない、といった不確定の成分が含まれている。
よねの父は北海道出身、母は福井県出身。二人は東京の銀座で出会って、結婚して、愛の巣は品川区の戸越で、両親ともども親孝行だったので、わたしは幼いときから、長い休みごとに、「北海道のおばあちゃん」と「福井のおばあちゃん」の家をかわるがわる行き来した。
1年でいっぺんの帰省。今年はどちらに帰ろう?という話題は前の季節からたびたび食卓にのぼる。旅にかける両親の意気込みが子供にも伝わった。
チケットを取る前の大騒ぎ。お土産の準備。旅行かばんの中身を詰める。久しぶりに親戚に会うはればれした気持ちや、別れのときの切ない感情。旅を境に両親が生き返るのを肌で感じた。父と母にとって、元気でうれしい旅を実行できることが、生きることの最大の目標だった時代があったのだ。両親の旅に対する特別な思いが、わたしにはしみ込んでいる。
今でも北海道の親戚は、北海道以外の日本国土を「内地」と呼ぶ。今でこそ、近くなったが、わたしが幼い頃は、寝台列車に乗り、青函連絡船で海峡を越え、道内をまた1日じゅうかけて走る旅路。よく耳にする演歌の歌詞みたいだが、ほんとに2日がかりのアドベンチャーだったのだ。距離と時間の隔たりの感覚は現代のヨーロッパやアメリカ行きの海外旅行の感覚に等しい。電話だって長くはしゃべれなかった。東京に独りで乗り込んできた父と母の境遇は、現代のアジアや他の外国からの留学生と変わらないのではないかと思う。
千葉県の千葉市にわたしの家族が落ち着いて40年近くたつ。会いに行く「おじいちゃん」「おばあちゃん」はとっくに亡くなり、親は年金生活に入っている。が、わたしは最近ときどき、自分が両親の「旅」を受け継いでいるのではないかと思う瞬間がある。
季節の変わり目などに、強い風が吹くと、「もう、行かなくちゃ」と、口にしている。行く場所などどこにもないのに、だれとも約束なんかないのに、心のどこかが、ざわつく。本能がささやいているのか?。渡り鳥みたいに。
先へ先へ。今よりも先へ。どこに行くというのか、自分でもわからないのに。
投稿者 midori : 12:44 am | コメント (0)
01 mei 2008
旅はい〜なァ
ウェブのことがよくわからないユーザー様にも更新作業が楽にできるように、「ブログ」のシステムをまるまるサーバに上げています。デザイン変更もちょー楽ちん。ブログのいい点をまるまる残しながら、ふつーのサイトを作るのが、うちでは流行ってます(栗原はるみ風)。
南風堂のブログ、デザインを変えちゃいました!色数を押さえているからちょっと地味かな?。でも、楽しくなったでしょ。
本日、正午〜3時くらいの間にこのサイトを開けてくださった人は、工事現場が見られたはず。普通のサイトは、デザインがビッチリ完成してからまとめてアップするのだけど、このホームページはムーバブルタイプというブログのツールを使っています。色やサイズを変えて、背景に使っている画像を書き換えて…というのをオンラインで確かめながらいじっていました。
あれ?文章がバックの画像の本の部分にはまっていない?という方、お手数ですが、ご覧のブラウザの「更新」ボタンを押してみてください。本からはみ出た文字がぱちっと、背景の本のページに収まるはずですよ。
コンセプトも少し書き換えてます。
「旅はいいなァ」
ほんとは旅行のホームページをやりたい。けど、記事にできるほど旅行しているわけでないので。当たり前だと思っている毎日のこまごまを、まるで旅しているときみたいな視線で見ていこう!と、こじつけてみました。この案に気がついたのは、デザイン初心の方や留学生や外国国籍の生徒さんとたくさん話したおかげ。本日も旅の途中かと思うとなんだか、見慣れた道も楽しい。人生はどの一瞬もが旅の途中。つれづれなるままに、毎日が冒険。