« juli 2007 | メイン | september 2007 »
20 augustus 2007
千葉市立美術館
一枚の紙から頑丈な3Dが生み出される仕組み。うーん。すばらしー。しかし、ボックスすべてをコレクションするわけにはいかない。燃えるごみの日の朝、分解してよーく眺めてから捨てる。
先週の金曜日、東京に出る前に小一時間の空きができたので、千葉市の市立美術館に寄ってみた。「都市のフランス 自然のイギリス」。18・19世紀の印刷業がぐんと発達したころの風景画と挿絵本の展覧会。あと、近代日本画の企画「若冲とその時代」の2本が同時開催中であった。
パスポート制度というのができていて、これは、3000円で会員になると、一年間何回入館してもただ!というとってもうれしいルールだった。ちばびいのパスポート、さっそく購入しました。
ふつうの人々が絵を楽しむようになって、古典的な技法で描くことがきまりだった風景画がどんどん変化し、やがてモネがノルマンディーの海岸で「光」のようすをカンバスに納めるあたりまでの風景画を並べた企画でした。50年くらいの間に、ばーっと世の中の流れが変化していった感じが肌で伝わってきた。
権力とか富とか一流とか威厳とか格式とか、そういうものが風景絵にも求められてた時代から、時は移って人々は、絵に別のものを描くようになったのだ。そこから流れてくる、きもちいい空気とか幸せな雰囲気とか、光とか風とか、自分たちが夢見るものを絵に欲しがるようになった。絵がのびのびとしていて、明るければ明るいほど、騒がしい時代だったのだろうなあという感じが伝わる。いっぺんにいろんな人が移って、開かれて、いろんなものが切り倒されて、ひっくり返って。
たまたまなんの予備知識もなく飛び込んだ先で、こんな展覧会に出会う不思議を感じる。かねてから宿題だった、としまえんの回転木馬、「エルドラド」のことを調べようと、ちょうど「Fairground Art」という本を読み解くのに熱中していたところ。エルドラドが生まれたのは「ユーゲントシュティール(フランスのアールヌーボーのドイツ語圏版。エルドラドを作ったのはドイツ人)」の時代。この展覧会と時代も舞台もだぶっている。すごいシンクロだ。
投稿者 midori : 01:46 pm | コメント (0)
18 augustus 2007
筆記具を求めて
勉強のノート。仕事のアイデアを書き留めるノート。将来の計画を立てるノート。3冊ぐらいを平行して使う。消費量はけっこう多いほうだと思う。行が太くて、薄い色で印刷されたものが好み。ノートによって物事のはかどり具合がうんと違う気がする。
新しいMacで本の制作にかかっています。快適なんですが、ただひとつ難点。手が熱い。手を置く部分がものすごく熱くなります。書籍の編集作業中です。200ページぐらいの版下をInDesignというレイアウトソフトで一挙に進めます。作業に入ると、あっという間に昼が来て、あっという間に夜になる。時間がかかる地味で細かい仕事だけど、没頭すると楽しい。
このところ、よねはメモの道具を探しています。外にいるときデジタルでテキストを制作できるようになりたい。本やWebを作る仕事が走り出してからこっち、圧倒的に文字をデータにしなくてはならない率が増えました。走り書きやメモの状態を飯の種に変える段どりが、現在うまくいってません。
学校の仕事のあるときは、パソコン背負って旅していたのですが、やっぱり重い!以前は、いつパソコンが必要になるかと不安な日が多出かったし、実際に出先やカフェでぱちぱち仕事してピンチを乗り越える場面もけっこうあったのですが、このところは、だんだん道すがらに立ち上げる回数が減ってきています。パソコンって使えば使うほど、その中身も厚く重くなります。抱えて移動するには重要すぎるデータも構築されてきます。持ち歩くには気が重いし危険な状況です。
この秋から、Dellを外に連れ出すのはやめよう、と思います。
ヨドバシカメラの売り場で外仕事の道具をリサーチ。必要なデータは持ち歩く手段があるし、特別なソフトが入っていなくてもよいのです。空いた時間にささっと文字入力ができる環境が欲しい。
工人舎のモバイルがいちばん理想に合ってる気がするけど、やっぱりこれもバッテリーをつけると1キロぐらいにはなる。何べんも手にとってみたけど、価格は10万円。ちょこっと試すには勇気が入るなあ。
電子辞書くらいの大きさで使えるものはないかな。「メモが書ける電子辞書ってないですか?」って、愚問。「単語は登録できますが、ふつう文書を作る機能はついてません」と一蹴されました。
少し前の電子手帳やPDAってのは、コーナー自体がもう消えていた。
「あとは携帯になりますね」
若い方は親指一本でぱぱっとメモるのが普通になってるから、わざわざ高い道具作っても売れないわけね。みなさんは、仕事の構想練ったり、メモを取ったりを、どんな道具で工夫してらっしゃいますか?
投稿者 midori : 09:28 am | コメント (0)
10 augustus 2007
青山二郎の眼
浅田二郎「憑神」と高野和明「幽霊人命救助隊」。ぶっつづけはまった幽霊小説2編。大爆笑とどきどき。寝苦しい暑い夜におすすめ。
世田谷美術館の企画展を見てきました。青山二郎の収集した骨董品の展覧会。青山二郎というのは、古陶磁器の分野で、器の世界でそれまでジャンルのなかった「朝鮮の陶器」「民芸品」に美しいものを発見し、日本の美術界に新しい価値観を築きあげた人。普段の顔は高等遊民(働かなくても食べていける)。古美術のコレクター。大金持ちから骨董品の目利きを頼まれ、コレクションの目録を編纂したり、美術品の評論を書いたり、本の装丁家としてときどき仕事をした。
物を選んで使うとき、その効力を沢山もらえるものと、そうでないものの2つがある。わかりやすくいうと「あたり」と「はずれ」。物を選ぶとき(作るとき)、いいデザインで、そのものの使いよさを予想して物を選ぶ。この展覧会は、そういった物の力の正体というか、「美しいもの(デザイン)」の定義が理屈でなく、眼でくっきり確認できた展示だった。
触ったり、それでお茶を飲んだりすると、もっと美しさを実感できるのだろうな。そんな不謹慎なことを考えてしまうくらい、地味でさりげない道具たちだった。ずっと眺めていたい気持ちを持つ品が多い。どうしてももって帰りたいものが3点あった。
力があるから美しく感じるんだろうか。美しいから力を感じるのか?
美術品として生まれてきたわけでなく、どこかのだれかが使う道具として生を受け、偶然を何べんもすり抜けて、今、この場所にある。陶器の地肌のずっと奥から発せられている、きもちのいい力に癒された。
これからあと何年生きるかわからないけれど、これからの人生は、なるべく豊かに楽しく暮らしたい。買うべきもの、手に入れるものを楽しんで選んで、飲んだり、食べたり、眠ったりする一瞬一瞬の幸せの密度を上げて生きたい。そう願った。
投稿者 midori : 08:34 pm | コメント (0)
09 augustus 2007
夏休みのアポイント
子供スケート教室を見学。初めてフィギュアスケートを習う友人の子供に先生が、重心のとりかたや、前へ進む力の生み方を教えている。なるほどなー。感心しきり。わたしも習いたいっ!
大学が夏休みに入ったとたん、飲み会ラッシュである。先週は4連ちゃん。あいかわらずビールひと筋。久しぶりにいろんな人に会った。木曜日は日蘭学会にオランダ語習いに行ってたときのクラスメートと津田沼で乾杯。ライデン大学に留学中の友人が夏休みで帰国するたびに集まる仲間。女流版画家とオランダの研究をする先生と大使館員さんとよね。オランダ語なんて、ぜんぜん使えるようにならなかったのだけど、こうして人の縁はつながる。不思議。
金曜日は、高校時代の美術部の先輩方と久しぶりに杯をかわす。母校の美術部は大学受験のためのデッサンを描き込んでいる先輩が多かった。その当時、すばらしい先生が顧問として受験指導していたせいもあって、高校や中学の先生になっている先輩の率がきわめて高い。高校時代はよねも「美術の先生っていいなあ。先生になるんなら、美術か音楽だよな」と、「美術準備室+美術の先生+絵の具の香り」にあこがれたこともあった。しかしいまや事情は大きく変わった。中堅どころの公立学校の先生はとてもハードで危険で、命を張らなくてはできない場面も年に何度か通り抜けるということだ。「美術以外の仕事がほとんで、制作の時間なんて日常ほとんど取れない」とおっしゃっていた。今、この時代、ある意味、いちばんたいへんで尊い仕事かもしれない、と、先輩方をリスペクト。
土曜日は今わたしがデザイン教えているコンピューター学校の社会人クラスの最後の授業が終了し、そのお祝いと卒制の打ち込み会だった。このクラスはもともと少人数でスタートしたのだが、さらにドロップアウトした人がだいぶ出て、少し考えながら進めた組だった。確実にデザインの仕事を得られるなあ、と思う人ばかりが生き残り、卒業制作に入った。すごい一生懸命だしライバル心も旺盛で、飲みながら、コースターにメモ取ってる生徒もいて、その勢いでなんでもやれば大丈夫よ、その勢い続けろよ、とうれしく思う。
投稿者 midori : 09:37 am | コメント (0)
07 augustus 2007
夏休みの仕事初め
JR北海道の根室本線、富良野駅(この夏のてっちゃん旅)。富良野の手前にすごーーく長いトンネルがあって、夜の11時に通った。1両編成、乗客3人。久々に、涙がでそうになるくらいの「おっかない」を体験した。もう2度と終わらない気がして。もしくは、出たら、ぜんぜん別の世界に行ったらどうしようと思った。
学校の仕事がすべて、ひと段落ついてます。ふだんは進行できなかったデザインの仕事が山積みです。サイト2つをこの夏に。プラス、本を2冊。作業に入っちゃう前に、Macを新しくしました。G5はやっぱり重すぎ、大きすぎ。夜中に仕事していると、離陸準備の飛行機のエンジンのような機械音が気になって気になって。音楽をかけないで夜を過ごすのが好きなので、しんとしている中、特に大きく聞こえるのだと思いますが。
思い切って売っちゃいました。予想よりはるかに高値で引き取ってもらえたので、PowerMac proのいっとう速いのを買えました。
いろんなソフトをインストールしなおす作業にけっこう時間かかってます。まちまちの時期に購入して、だんだんにそろえていったので、IDやパスワードが一発で決まらないものも出てきて、はかどりません。それから、今まで使っていたハードディスクは初期化をしないと読み込まれない、ということが判明し、かなりがっかりです。
パラレル、というソフトを入れて、Vistaも動くようにしてます。この様子はとても不思議。Macの上でVistaのウィンドウが開いています。こういう状況で見るとほんとに良くわかるのだが、Vistaのインターフェイスは、ほんとにMacに良く似ている。アラートが重なったときに透けて下が見える、という、意味のない小技なんて特に似ている。2匹目のどじょうを狙った若手歌手みたいな似方なので、なんか使うの恥ずかしいくらいだ。
将来は、画像はMacで処理して、印刷物とフラッシュはMac。Webサイトのコーディングはツールの関係で今はDellで行うことになると思うが、ゆくゆくはMac上のWinで。使い慣れたXPのDellはデータベースは用に。という分担を思い描いています。