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28 november 2010
スピード
週に一度、六時半に家を出る。今くらいの季節の6時半って、明けたばっかりっていうかんじである。西に向かって歩く。夜の成分がまだほんのり残っている空に、白い月。
わわわーっ。今年はあと、さんじゅうとすう日!
突然に、あたりまえのことなんだが、すごい事実。今日気がついた。終わらないかも。今年じゅうに。
このさんじゅうすう日で、企画を2本作り、年賀状を作り刷り、ホームページの簡単なやつを1本アップして、成績をつけ、担当している店舗の正月のポスターを準備し、それから、ウェブの12月分の仕事をする。あ、あと、年内数回分の授業授業。できるんだろうか?
ここのところ、学校のお仕事は生徒と学生の力が上がるたいっせつな時期で、わしわし資料やら授業の台本やらを書いて作って書いて作って、来年のえとはうさぎだけど、まさしく烏飛兎走。や、その3倍速。
準備だけじゃない。宿題を出して、作品をチェックして、また宿題をだして、その宿題に注文をつける。キャッチボールの回数が多ければ多いほど、学生の実力はつく。デザインはやりっぱなしではだめで、直すべきところを発見して、どこまでしつこく修正できるか?が勝負なのだ。学生にも仕事と同じにやってもらう。繰り返すうちに、なんか、みんな、発見していくみたいだ。デザインの直しは文章でいえば推敲に当たると思う。
昨日の昼間はいちにち、ミスった連絡不行き届きの後始末&事後処理で時間が過ぎた。なあんにも進まなかった。
深く反省ののち、たった先ほどから、スウィッチ切り替え。
それとそうだ。忘れていた。家事。そうじ。家の中の掃除。積んであるものを分別して、すっきりしたい。でも、これはどう考えても年内無理。窓や食器棚、お風呂や玄関、毎日みるものだけでもとにかく。
投稿者 midori : 12:47 am | コメント (0)
18 november 2010
ボタンのデザイン問題
おはようございまーす。みゅーう。写真撮っても良いですか?みゅーう。そんな会話が交わされてます。散歩の途中、スニーカーソックスねこに出会う。
gmailの送信ボタンは書類のいちばん下部、操作者から見て手前についています。ipadでgmailを開いて、返信の本文を書いているとき、タップによるコピペがうまくいかなくて、指をじたばた動かしたら、つるっと送信ボタンに指が触れてしまいました。
書きかけメールをお送りして申し訳ありません、と、お詫びを書いている最中同じ人に対して、もう一度同じ間違いをやらかしました。二通も間違ったメールをお送りすることとなってしまった。ばかすぎる。
信用問題になりかねません。ipadでgmailチェックはしても、発信はするまい、です。
秋葉原某ビルでもボタンにまつわる大失敗をしました。インフルエンザの予防接種にいつもの職場とは違うビルに行った日の話です。注射が無事終わってからトイレに入りました。水を流そうとして、体をよじって、水洗ボタンを押したつもりだったのに、手が触れていたのはエマージェンシーボタンだったのです!。
仕事でよく行くビルのトイレでは同じ場所に水洗ボタンがあるのです。しかも同じパネルが使われています。
よく見ればちゃんとボタン名が書いているのですが、とっさに勘違いしました。
あっと思ったけど、後の祭り。手を洗ってたら、すごい勢いの足音と「はあはあ」という息切れ音が鳴り響き、「失礼します!」という掛け声と共に警備員さんが駆け込んでらっしゃいました。
ごめんなさい!の、連発でした。平謝り。
文字よりも物の形の印象のほうが強いという痛い例です。すごい勉強になりました。
よねにはもうひとつ、よく間違うボタンというのがあります。
エレベーターの内側のドアの開閉ボタンです。
外向きの三角が開くだったっけ?閉まるんだっけ?
このボタンは落ち着いて考えても混乱します。
投稿者 midori : 02:03 pm | コメント (0)
03 november 2010
よねの外側を大きく回る時間の流れ
矢も盾もたまらず、結局Bluetooth機能搭載のキーボードを購入してしまいました。ガラスタッチを使いこなせなかった点では、負け感がありますが、ipadの入力環境を手に入れてごきげん。もっとも現在、入力前の「折りたたみ」を繰り返して、キーボードくんの関節の動きにいちいちしびれている変人なよねであります。機械のジョイント大好き。
本日文化の日、朝いちばんに部屋の床を掃除して、続いてたまってた領収書の整理。あと2時間以内で、とあるサイトのトップページの画像をPhotoshopで描いて、午後からはくみちゃんと展覧会を見に行く予定です。
「きょうはめーじせつか」と、よねの父がさっき言ってた。よねの周りで「文化の日」を「明治節」という人はいないので、耳に止まった。へいへいぼんぼんなただの日常生活の外側で、ゆったり回る時代の流れを感じる発言だなあ。
船とか、飛行機とか、特急列車とか、大きな乗り物に乗っているときとかにも、はっと気がつくことがある。揺れは感じるのだけど、手元の視界や体の位置はとりあえず止まっていて、本を読んだり眠ったりができる。自分が全体的には、どこらへんを進んでいるのかは、窓の外を見てみないと確認できない。速く遠くに動く場合ほど、手元の時間とほんとの位置の間に差ができる。
あたりまえのことなんだけど、よねにはそういった現象じたいがとてもおもしろく思える。だから電車とか飛行機とか、自転車とかの乗り物が好きなのだ。流れる景色をぽさっと眺めているときにこそ、手元の時間と外側の時間、違う時間がすれ違う感じを味わうことができる。そして、ふとした拍子に、ものごとの本当のポジションとかが(自分が認識していた位置とのギャップ)確認できる瞬間がある。(「あ、今、ここにいるんだー」と、地図上での自分の位置を見つけたときみたいな感じ)そういうことに、すごく感動を覚える。
抽象的でわかりにくくてごめんなさい。