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よねの外側を大きく回る時間の流れ
矢も盾もたまらず、結局Bluetooth機能搭載のキーボードを購入してしまいました。ガラスタッチを使いこなせなかった点では、負け感がありますが、ipadの入力環境を手に入れてごきげん。もっとも現在、入力前の「折りたたみ」を繰り返して、キーボードくんの関節の動きにいちいちしびれている変人なよねであります。機械のジョイント大好き。
本日文化の日、朝いちばんに部屋の床を掃除して、続いてたまってた領収書の整理。あと2時間以内で、とあるサイトのトップページの画像をPhotoshopで描いて、午後からはくみちゃんと展覧会を見に行く予定です。
「きょうはめーじせつか」と、よねの父がさっき言ってた。よねの周りで「文化の日」を「明治節」という人はいないので、耳に止まった。へいへいぼんぼんなただの日常生活の外側で、ゆったり回る時代の流れを感じる発言だなあ。
船とか、飛行機とか、特急列車とか、大きな乗り物に乗っているときとかにも、はっと気がつくことがある。揺れは感じるのだけど、手元の視界や体の位置はとりあえず止まっていて、本を読んだり眠ったりができる。自分が全体的には、どこらへんを進んでいるのかは、窓の外を見てみないと確認できない。速く遠くに動く場合ほど、手元の時間とほんとの位置の間に差ができる。
あたりまえのことなんだけど、よねにはそういった現象じたいがとてもおもしろく思える。だから電車とか飛行機とか、自転車とかの乗り物が好きなのだ。流れる景色をぽさっと眺めているときにこそ、手元の時間と外側の時間、違う時間がすれ違う感じを味わうことができる。そして、ふとした拍子に、ものごとの本当のポジションとかが(自分が認識していた位置とのギャップ)確認できる瞬間がある。(「あ、今、ここにいるんだー」と、地図上での自分の位置を見つけたときみたいな感じ)そういうことに、すごく感動を覚える。
抽象的でわかりにくくてごめんなさい。