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13 december 2010
ささやかな人生
秋葉原のイルミネーション。信じられないくらい秋葉原は変わったよ。西池袋→八王子→麹町→銀座に連なる、よねの青春(いや、朱夏かな?)の舞台になって5年が過ぎました。
午後10時11分の快速発車まであと一分のところで地下2階に着いた。東京駅の地下4階、総武線ホームへのエレベーターを駆け下りる。
グリーン車(土、日曜は安売りデーなので特別に乗ってよいルールになってる)チケットの販売機の操作がスムーズにいって、発車ベルにどうにか間に合う。窓際に席が見つかり、座れた。
これっていろんな意味で、幸せの一つなんじゃあないか?
あまりにお腹が空いたので、ちょこっと立ち居よったスタンドバーで、初めて頼んでみたサンドウィッチのクリームチーズがおいしかった。で、つい、追加で赤ワインを注文する。
チーズはもちろん、おいしさが倍増。お店の人に薦められたボジョレーはあまりにもいい匂いで、きれいな色で、香りを楽しんで眺めているだけで、なんだかいろんないい思い出が湧いてきた。
これも幸せといえるんじゃないか?
思い出が繋がり、いろんな楽しい記憶がよみがえる。いろんなシーンの中でいちばん重要なのものは仕事の記憶だ。
わたしがデビューした4分の1世紀前、仕事対象はすべて手で触れられるメディアで、うんざりするくらいの工程と量があった。当時はほとんどが手仕事だった。それだっておもしろい経験だったし、今は今で座る場所とLANとパソコンがあれば、世界中どこにいっても好きな物を作ることができる。
そういうことだって幸せの一つだって言えるんじゃあないか?
上の文章のハテナマークを打ったとたん、ipodの音が急に好きな曲に変わった。目を上げたら、ちょうど電車はわたしの大好きな橋にさしかかるところ。
おかげでいちばん好きな音楽に乗せて、ぷちぷち続いていく光の列と水に映る素晴らしいシーンをしみじみ見ることとなった。
グッドタイミングに運命の天使の笑い声がはじけるのを聴く。これってきっと幸せの一つっていってもいいんじゃない?
これっくらいのことのでうれしくなる。わたしにとって幸せとは、こんなささやかなこと。その連続でじゅうぶんなのではないかな。
投稿者 midori : 12:13 am | コメント (0)
09 december 2010
自分は何のために働くのか?
2011年12月8日現在の使用中と最近見た本を入れておく棚。仕事の資料と作業のあんちょこと。半七捕物帳はぜんぜん読む時間なし。待機中のまま数ヶ月。
2日続きの連休、休みというより、家でがしがしPC作業を続けております。天気いいのに散歩の余裕すらなく、引きこもり中。
先月は仕事の一つの行く末が揺らいで、ふだんは気にしないことにあれこれ気を回したということがありました。おかげさまで、現在その件は落着し、来年もその仕事を続投させていただく決意を固めましたが、たぶん、心の底はものすごく疲労したのだと思われます。
12月に入ってから精神的にぐっと落ち込んで、自信がぐらつくという事態になりました。メランコリーというやつです。
そうなるとどうなるかというと、ところかまわず、物悲しい感でいっぱいになります。なんだか四六時中自己嫌悪感につきまとわれ、気がつくと「もうだめだー」とか、つぶやいています。くよくよちゃんスウィッチが入ります。
簡単にいうと、来年の仕事のスケジュールを決めるという、たったそれだけのことに迷いが生じました。
生き方の基を問わざるをえないような質問と久しぶりに向き合うことになりました。
自分は何のために働くのか?自分はどうなるのがいちばん良いのか?
そんなへこみの底の日の深夜、すごい遅すぎる夕食を食べながらテレビをつけてビールを飲んでいましたら、たまたまNHK教育の「プロフェッショナル」という番組が始まりました。
「社会起業家」という肩書きの渡邊智恵子さんという50代の会社社長のドキュメンタリーでした。オーガニックコットンを原料に、ベビー衣料やホームウェアのメーカーを経営されています。(わたしはサラリーマンのときに、この人の会社の営業の方のお話をうかがっているかもしれない。無農薬で作られた綿花かから製造した綿はとても高価で、そのときに勤めていた会社の商品開発にはとても使えなかったのをかすかに思い出しました。)
番組では、質のいいベビー服というヒット商品に対して、韓国で安い類似品がどんどん出没して、マーケットを失っていく現場が取材されていました。
渡邊さんに落ち込んでる時間はなく、韓国のマーケットを見に行って、こりゃダメだってわかった瞬間の決断が早い早い。
どうなんのよ?というはらはら、どきどきの次に出てきたのは、もっと高品質なベビー服。富裕層だけをターゲットにしぼった商品でした。渡邊さんは低価格レースに加わるのではなく、「日本産にこだわってさらに品質をあげていく」という選択をします。
「師匠」
知り合いでもなんでもないのに、そう呼びたくなりました。ああ、なんだ、こんなところに、こんなすごい人がいたのか、って。
そのすごい人でさえ、いつも自問自答していらっしゃる。わたしと同じように。
自分は何のために働くのか?
もう、真夜中に大盛り上がり。夜中なのにビールもすすんで、そのあとのブラタモリまで見ちゃいました。(こちらも「鷹狩り」の話でものすごく面白かった。)
わたしが先月にぶちあたった問題なんて、あったりまえで、よく起きる問題で、問題が起きたこと自体に驚いたりうろたえたりしている時間はないんだ。
問題が起きるから進化するんだよね。先があるんだよね。逆に言うと先があるから解決しなくちゃならない問題が起きるともいえる。
【問題のほんとうの意味】
問題が起きたとき、その問題は必然であり、結果である。
真正面から受けて大打撃を受け、唖然とするためのものではなく、ましてや、逃げるとか忘れるなんて論外。
問題自体を別の角度から観察しなくてはならない。
なにかを変えろ、手を打て、進歩しろ、という運命からのささやきを聞く。
【問題を越える方法】
1「幸せな決着」や「こうなりたい」をはやく見つける。
2 それに向けて、できることの最善を選ぶ。
3 とにかくやる。
生きることって、きっとこういうことの繰り返しなんだろうなあ。
へこみの底をつま先でこつんと蹴飛しました。