« juli 2009 | メイン | september 2009 »
21 augustus 2009
なぜ犬が吠える埼なのか?
「道の駅」という施設が千葉県内にはいくつか散らばっている。トイレの他に、野菜や名産品を直売する売店がくっついていて、買い物と休憩が同時にできる。売店に並んでいるのは地元で取れる野菜や米だけでない。植木や、なんとメダカまで(←食用ではないと思いたい)。
夏休みを取った。長い旅行に行けないので銚子を選んだ。ペーパードライバー返上後の初ドライブだ。銚子へは千葉市内の自宅から車で一般道を通っても3時間も走れば楽勝で着く。片道100キロ。一般の人々にとっては日帰りで十分のコースなのだが、よねの運転キャリアからすると途方もない長距離に思えた。終点にホテル宿泊のご褒美をつけ、ついでに家族サービス旅行とジョインさせた。
地図上の銚子市の先っぽを太平洋に突き出した人の横顔に見立てると、本州最東端の犬吠埼は鼻の先に当たる。鼻の下から唇、あごにかけてのカーヴに沿ってホテルや釣り船を出す舟宿が並ぶ。そのうちの一軒でのんびりしている。
このホテルは波打ち際から20メートルぐらいしか離れていないところに建っている。建物自体はちょっと年期が入ったおんぼろだけど、すばらしい立地だ。部屋からもお風呂からの眺めも、どばーっと海のみ。夕べは波の音を一晩じゅう聞きながら眠った。朝は5時前に起きて日の出とピンクに染まる海を見た。
ちょっとでぶちん、がっしり派の犬吠埼の白い灯台が、視界の左側に突き出した岩の上に4センチくらいの高さで見えている。夜になって、何秒かにいっぺん、「すーいー」と光が走ってくる様子は、とても美しいものだった。
犬吠埼をなんで犬が吠える埼と書くのかというと、理由がわかった。字のとおり、犬が吠えたから、だそうだ。その犬は飼い主においていかれて悲しかった。主人が去っていった海に向かって、7日7晩吠え続けたそうだ。
主人の名前は源義経。逃げ中で近くの小さな島の洞穴に隠れていたが、そこから先は船に乗らなくてはならなかった。それまでずっとお供をしていた犬には平家の亡霊が乗り移ってしまい、いっしょに船に乗せるわけにはいかない状況だったらしい。残された犬の主人を慕う悲しみはものすごかった。(この辺からよねの頭の中では、ソフトバンクのおとうさんが演じている)吠える声はあたり一帯に広がり、義経の耳には隣の長い砂浜の九十九里先まで響いたという。よっぽど大きな声の騒がしい犬だったに違いない。
銚子に伝わる昔話である。地元の人は義経が逃亡する際、銚子を通過したのだという伝説を堅く信じている。
銚子っ子の訛りは、他の千葉の田舎の人のとは少し違う。義経伝説を教えてくれた無料の「本日は5時20分発、夕陽を見るツアー」のガイドは、泊まったホテルの事務のおねいさんが兼任。「夕陽」を「ゆうし、ゆうし」と発音していた。東京の下町の人が「ひそひそ」を「しそしそ」というのと同じ感じで。江戸言葉を潮にさらして、しょっぱくした風だ。祖先は利根川を伝って、江戸から移り住んできたのかもしれない。
投稿者 midori : 03:27 pm | コメント (0)
10 augustus 2009
サラリーマン時代の台風の日の思い出
雨が来る。雨が来る。舞台の書き割りみたいなもくもく灰色の雲からおたまじゃくしのような大粒の雨。
昨日夕方、本日朝とすごい雨が降りました。千葉市内では道路や線路が冠水し、交通も一時ストップするというひどいことに。みなさんの住む街では雨、大丈夫ですか?
大森に事務所があったころの話。朝、通勤時にものすごい雨が降っていた。ようやく会社に着く。
日本のサラリーマンってすごい。台風なのに、台風で欠勤する人など一人もいない。窓打つ嵐などどこ吹く風。なにごともなかったかのように、ふつうに仕事が始まっていた。
ぼろぼろで職場にたどり着いて、ぜいぜいしているよねのほかにもう一人、普通でない人がいた。ふくちゃんと呼ばれていた、ちょっぴり周囲から浮いていた(いい意味も含めて)女子社員だった。中途採用で入社し、しばらく別の事業所に勤務していたのだが、他の女子社員ともめて最近よねと同じ職場に異動してきた。前の勤務地のときは、毎日、車で彼氏に送り迎えをさせていた逸話がある。ふくちゃんはこの朝、オレンジと黄色の縞のムームーみたいなタオル地のワンピース姿で、ストッキングも靴も脱いで、ビーチサンダルをつっかけてコンピューターに向かっていた。女の部長が気がついて「ビーチサンダルで仕事に来るとは何ごとですかっ」と叱った。
ふくちゃんは「だって、靴びしょびしょになっちゃったんでー」と口答えした。ちなみにふくちゃんがはいていたのは、会社の商品企画部の棚から探しだしてきたと思われる自社製品のビーチサンダル(ビーチサンダルも作っていた)のサンプルである。
ふくちゃんを目の敵にしていた女部長は「あなたっ!反対よっ!。会社まで濡れてもいいので来て、会社で普段の靴に履き替えるものでしょっ」とふくちゃんを怒鳴り飛ばした。
やっぱり中途採用で、この会社の習わしに何年もたつのにまだ慣れてなかったよねは、横で聞いていて、ちょっと感心した。そうかあ。土砂降りの日は、どうせ足が濡れる。女子社員たるもの、会社まではサンダルをはけばいいのか。ビーサンかどうかはともかく。
いろんな人が働いていて、楽しかったな。
投稿者 midori : 06:01 pm | コメント (0)
06 augustus 2009
仕事について思うこと1
留学生に撮らせていただいた中国語バージョンのPhotoshop。メニューバーの「レイヤー」「レイヤースタイル」を開いたところです。顔は似ている。しかしなにがなんだか、さっぱり意味がわからない。漢字が日本の辞書に載っているものだけだと思ったら、大まちがい。
テレビで矢沢永吉の番組を見た。矢沢に二十代のファンが質問する。
「人に負けたくないって気持ちで高卒で働き始めた。証券会社で7年続けた。最近は仕事についても自分に対しても、このままでいいのかという不安にさいなまれ、自信を失っている。このことについてなにか言っていただけないか?。」(だいたいこんな内容。言い回しは違うけど。)
それに対する矢沢の答え。
「音楽ずっとやっているけど、おれにだって、30代には間違いなく嫌だと思って音楽をやっていた時期があった。最近も1年間、休業して、音楽活動を一切しなかった。今は60歳になって、生まれ変わったような気持ちで『さいこー!』と思いながら、この仕事にも臨んでいる。」
1年間ぱったりと音楽をやめてみて、気がつくこともあったそうだ。
「人間、天からあたわった能力をいくつも使えるわけではない。おれには音楽がある」
ビジネス上で大失敗した経験のある矢沢のこの言葉には重さがあった。生きること、仕事をすることについてずっと思いを巡らしている。わたしが60になったときはどんな気持ちでどんな暮らしをしているだろうか?
きょうは大学の前期の授業の最後の日。生徒たちは最後の提出作品を持ってくることになっている。それを磨いて、ものを作ることの喜びを感じてもらうのが今のわたしの仕事だ。締めくくりに、どんな話をしようか。