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30 oktober 2008
コウイフ人ニワタシハナリタイ
ドールデザイナーの友人たちのプロジェクト。ペットのぬいぐるみオーダーメード。納品に立ち会った。顧客は最初「しろちゃん…そっくり」と息が止まりそうだった。つぎにうるうる。
先週、来年出すとある媒体でファッションの記事を作る打ち合わせをする機会があった。モードの記事をHさんにお願いしているという。よねは最後の版組みを依頼されただけなのだが、顔合わせ、ということで呼ばれて出かけた。
Hさんとお会いするのは10年ぶりくらい。会社員時代、よねは同列の会社内なので同じビルで働いていたことがある。HさんはPR誌の編集長をされていて、厳しい仕事ぶりで有名であった。下っぱであったよねからみると、「とーっても緊張する、なるべくならいっしょのエレベーターに乗りたくない人」だった。
ランクも分野も違うけど、お互いにフリーランスとして名刺を交わす。来年のモードの話はとても楽しかった。元いた会社でめまぐるしいファッションの情報にもまれていた日々の感じを思い出した。
同じ会社で仕事していたときは、「目を合わせると焼かれてしまうのではないか」くらいに恐れていたが、こうして、同じテーブルから眺めてみると、とても美しくかっこいい人なのであった。この日は手に取って広げて眺めたいくらい素敵なプリントのラグラン袖のプラウスに、たらーんとほそくて長いネックレスを楽そうにかけていらした。着こなしにうっとり。
「次に仕事があるから」と言われて、Hさんは席を先に立たれたのだけど、部屋を出ていかれるその後ろ姿のシルエットが、まさしくよねのよく知っているHさん。つくづく、あの時代のよねはこの角度からばかり、Hさんを眺めていたのだな、と思った。
くるぶしの上の丈のパンツにかかとの低い靴を素足で合わせておられた。ベージュのレインコートと長い傘。すてきだなあ。憧れスウィッチが入った。
投稿者 midori : 01:06 pm | コメント (0)
15 oktober 2008
雨ニモマケズ
母校の前を歩く機会があった。高校の前の道はプラタナス並木になっている、靴の下で落ち葉が「しゃくっ」っと音を立てた。その感覚で、高校生活のいろんな気分がどっと呼び起こされた。どうしたものかやたら考えこむことが多かった青み帯びた薄い灰色の時代。今はいとおしい。
宮沢賢治の詩を絵本にしている。この連休、試作を作り始めた。
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち。
うちの台所と居間を区切るカウンターに、この詩を染め抜いた暖簾がかかっていて、よねは毎朝、洗った茶碗を拭きながら、「こういう人にわたしもなりたいなあ」と、思っている。
絵本の場面をスケッチしだしてみると、詩の舞台は静かな東北地方の村ではなくなってしまった。絵本はよねが旅をしていて、居ついてしまったどこかの街という設定に生まれ変わった。このコンテに沿って絵を始めると、どこにもない「雨にもまけず」。
詩を繰り返し読み込んでみる。賢治に対して親しみがぐっとわいてきた。詩に描かれた人物像は賢治の「なりたいなあ」という「目標」をつづったものなのだと仮定すると、この頃賢治が立ち向かっていた生活は詩に書いてある理想とは反対の状態にあったのだろう。
雨にしくしく痛み、風が吹けば吹き飛ばされそうな自分。丈夫でない体の不安を抱えており、強欲で怒ってばかりいて、感情をコントロールできなくなっちゃっている状態。
そう考えると、「1日に玄米四合と味噌と少しの野菜」に憧れる作者は、「収入への不安もあったのだなあ」と妄想が進む。
「小さな萱ぶきの小屋の一人暮らし」に憧れるってことは、独りになれない、あるいは自立しきれないことへのいらいらを味わっていたのではないか?
病気の子供がいるのに、力になれない悲しみ。老いた親になにもしてやれない情けなさ。よねが自分の老後に対して恐れているのと同じレベルの不安や悩みを、賢治も持って暮らしていたのかもなあ。スケッチしながらそんなふうに考えが及んだ。
若い頃、賢治の実家に仕事の都合で関わったことのある父にこの考えを言ってみると、「宮沢家はすごい裕福な家で生活に困るなんてありえない」と一蹴された。けど、Wikipediaで「雨ニモマケズ」を引いてみると、「東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が壁材のセールスに上京して再び病に倒れ、花巻の実家に戻って闘病中だった1931年(昭和6年)秋に使用していた黒い手帳に記されていたものである。」とあった。
賢治を自分よりずっと大人だと思っていた。これを書いた頃の賢治は「公務員を辞めて農場を経営し始めたが甘くなく、いったん就職し、東京で一人暮らしをしている途中に体を壊して実家に帰っている30代半ば」だったのか。
詩の文章の文字組みをしながら、もう一度詩の文章をたどってみると、ちょっと失敗しちゃったさなか、目指そうとする場所をしっかり確認しようと、かすんだ目を必死にこすって前を見ようとする様子がくっきり伝わってくる。
投稿者 midori : 10:01 am | コメント (0)
10 oktober 2008
なんかものすごく仕事しているのだけど進まないわけ
赤い皮はワックス。貯蔵用の2番目の冷蔵庫から発掘されたチーズ。4年越しで熟成してた(忘れてた)ものを思い切ってカット。本来はしっとりしているはずのエダム(オランダ産)なのに、発酵が進みすぎてほろほろくずれる状態に。ぷーんとチーズ臭。死を覚悟して口に入れると……!@u@!!。この物語はまた後日ね。
To doリストの優先順位、この夏からずっと1位に居座り続けたサイト作りがひとつ、やっと終わりに近づきました。もう何をしていてもずーっと気になっていて、いつも眉毛の上あたりにどんよりとどまっていた案件。途中どんでん返しがあったりして長引いてました。
スタイルシートを使って組んだシンプルなサイトをご提案申し上げて途中まで進行していたのでしたが、クライアントさんからのご希望でFLASHのサイトに進路変更。サイトを作る側からすると、FLASHサイトにはあれこれ玉に傷な点があり、あえて、提案しなかったのだけど。
電話で「ふるふらっしゅで」と、クライアントさんからFLASHさん名指しで。普通の人の目に、いまや止まっているサイトは「古く」、動くサイトは「新しく」映るらしい。普通の方が「ふるふらっしゅ」という言葉で普通に注文してくる、というのが、なんだか不思議な気がした。
「フルフラッシュ」とは、FLASHというアニメを作るソフトでボタンからビジュアルから、記事から、全部を作っていったサイトのことです。いろんなからくりや動きを盛り込める。音も付けられる。が、ソースはとても複雑な構造になるため、チームでの仕事には不向き。作った技術者本人だけが全てを管理し維持し続けなくてはならない、という、欠点があります。
サイトって作りっぱなしじゃなくて育てるもの。たとえばお手入れ、というときに、半年以上昔に描いた仕掛けの仕組みを思い出すのは、おそらくすごく時間がかかるだろう。メンテがきつい、という理由で、部分的に動画を使うことはあっても、フルフラッシュサイトを仕事で提案するのは避けてきたのだった。
ところが。始めてみたらば、楽しくてしかたない。作り込めば作り込むほど入り込んでしまったのだ。
一枚一枚の場面を描く楽しさもある。それから、時間をずらして画像をふわっと暗くしたり、ぱっと場面を切り替えたり、映画を作るみたいな作業も楽しい。それもあって、やってもやってもぜんぜん先に進まなかったのである。
サイトを作りながら改めて実感したのだけど、このFLASH、とてもグラフィックデザイナー向きのツールなんだな。
と、思っていたら、お世話になっている学校のグラフィックデザインのカリキュラムに、今まで教える範囲になっていなかったFLASHのパートがかなりの食い込みで組み込まれることになっているのを知る。
紙の仕事自体が減る一方で、デザインおたくが生き生き表現していける世界って、やっぱ、ここなのかもなーFLASH。あー、でも、はまってしまうだけに、入るの、怖いなあ。
投稿者 midori : 07:54 pm | コメント (0)
08 oktober 2008
悩む力
移動距離が長いので、駅のお手洗いのお世話になること多い。個室の真正面に貼られた駅長からのメッセージ。トイレの落書きとしては今年BESTの出物。なんかかわいい。で、思わず撮影(←ばか)。沿線にあるI高校かO高校に通うギャルのしわざだと思う。
このごろいろんな人に勧めまくっているBook。今のところ2008年の心部門ベスト。姜尚中(かんさんじゅん)という東大の先生の「悩む力」(集英社新書)。
偶然にも本を読み始めたちょうどそのとき、著者が爆笑問題のインタビュー番組で取材された。しゃべるかん先生は落ち着いていて静かで優しそうであった。テレビでは秋葉原の殺人事件のことを語っていた。あの事件は政治がおこした事件だと。開いていた本の内容がよけいに心に響いた。
悩みってどうして起きるか、悩む人の可能性みたいなことが、静かにおちついたテンポで語られている。「超なんとか」とか、「なんとかパワー」みたいなスーパーミラクルな方法論ではない。人として当たり前のことが、改めて語られているだけ。病気の人の特効薬にはならないと思うが、悩み抜いたかん先生の「悩む時間全肯定」の姿勢の力強い応援に、かなり元気をもらえると思う。
悩むのって、ちょっとかっこ格好悪い。それから時間の無駄、みたいに思われている。けれど、悩みって、実は人間が年を重ねる過程で絶対に必要な時間なんじゃないか?と、かん先生はおっしゃる。それから、悩みすぎると病気になったり、うまく働けなくなるのは、人間の体の仕組み上仕方ないことだと。悩みから逃げようとするんではなく、悩みととことん向き合い、自分なりのレベルで悩みの上に生きていけ。
『自我というものは他者との関係の中でしか成立しないからです。すなわち、人と人とのつながりの中でしか「私」というものはありえないのです。』(「悩む力」より)
悩んでいる人にも、社会活動と自分との接点はきっとあるはずだとよねも思う。今よねが生きている地点も懸命に探し当てたすれすれの接点だ。
会社なんかで悩んでいる人は、接点が自分の周りにないだけだと思う。接点をさがして、いずれ今の場所を出て、自分からそのポイントめざして歩いていけばいい。
励まされたみたいな気がして、よねは正直、なんかうれしかった。