« juni 2008 | メイン | augustus 2008 »

28 juli 2008

国際子ども図書館

080728.jpg
「店の主になるんなら、こんな店!」夢のリトルショップ・リスト第一位、シンガポールの「Wardah Books」。こんなにかわいいのに、イスラム教の本を扱う専門書店なのだ。
 国際子ども図書館は上野の森のはずれにある。石造りの建物は旧帝国図書館を改造したもので、館内全体には素晴らしい格調が漂っている。貴族のお屋敷みたいな手すりや壁と高い天井は、どんなビルもカフェもかなわない。プラス、すごい静か。物語の中に入り込んだみたいなムード満点の場所である。夏休み中はけっこう繁盛していて、利用者は大人1、子ども2、というところ。本好きな子どもがちょっと興奮気味に円形に並んだ本棚のラビリンスを回遊している。本たちもなんでもない日よりもうんとうれしそう。壁際の子どもサイズベンチは満席で、熟睡しているちいさい子を膝に抱きながら、お父さんやお母さんがジーっと子供の本に読みふけったりしている。
 メインは子供の本が詰まった図書室だが、ほかに、展覧会などの催しに使われる展示室やスクリーンのある上映コーナー、しゃれたテラス付きの明るい食堂や、常時LANがつながったパソコンが置かれたレファレンスコーナーなど、よねが必要だと思うもののほとんどが備わっている。本棚には大好物の絵本や少年少女用の物語本が詰まっているし、いうことなしのパラダイスである。夜は入れないのだが、このごろ週に一度くらいのペースで、学校の仕事の前後に2~3時間の余裕を取って、上野まで足をのばす。
 よねのこども図書館利用法は絵本を探して読んだり、明るい食堂でお茶をしながらパソコンを広げたりするだけにとどまらない。脚の短い子供用の椅子に座って、こどもが絵本をめくる姿をぼーっとながめたり、隣のお父さんが物語を読み聞かせをしている声を、子どもたちと一緒に聞きながら、うつらうつらしたりもする。
 南風堂もそろそろ夏休みシフトに入る。大学の授業期間中には時間をかけられなかった仕事が山積み。この夏はそのほかに、ちいさいこども向けの本を作ろうと思っている。絵本になるのか、普通の本になるのか、玩具の延長みたいなものになるのか、まだ決まっていない。小さな目と心を喜ばすことができたらなあ、と、絵本をつかむ小さな手を見ながら妄想している。

投稿者 midori : 10:49 am | コメント (0)

09 juli 2008

ニコ・ビロスマニと梅雨のおでかけ

080709.jpgいつも見るたび、ふにゃら〜、と、力が抜ける、モノレールの各ドアに貼り付いてる、あやしげな「千葉のニコ・ビロスマニ」。しっぽと顔の模様の様子から、沿線の動物公園に住む「レッサーパンダのフウタ」だと思われるが……。
 月曜日は休日、訳あって鎌倉に出かけました。千葉県の最寄り駅から横浜方面へは、総武・横須賀線快速で直通なので、行き方は超簡単なのだけど、2時間ずっと座りっぱなし。途中からひどく体が冷える。土砂降りと土砂降りの間の小休止をうまく縫って、まったく濡れずに小さな旅ができました。ラッキーなこと。
 小町通りの「鎌倉ハム」の看板のかかった肉屋さんで、自家製焼豚をお土産に買って帰った。薄くスライスして生野菜を添えて、晩ご飯のおかずにしたら、家族に喜ばれました。
 引き返す途中、まっすぐ千葉に戻るのがもったいないので、湘南ライナーで渋谷に出て、東急文化村の「青春のロシア・アヴァンギャルド」という展覧会に寄った。1900年代の初め、パリの「キュビズム」や「フォービズム」、それから北イタリアの「フチュリズム」なんていう、美術の新しい流れが、ロシアの若者に伝染して、土地の伝統的な感覚なんかと混ざり合って「ロシア・アバンギャルド」が始まる。のちのバウハウスの先生になったカンディンスキーや、パリのオペラ座の天井画を描くことになるシャガールなんかもこの時代の洗礼を受けていたんだって。
 よねは白黒のグラビアの古いマレービッチの載っている画集を持っていて、会社員だったころ、よく眺めていたことがある。それで、この展覧会を見に行きたくなったのだけど、マレービッチはちょっと悲しい芸術家だった。共産主義によって、取り締まりが厳しくなると、アーティストの選択は、外国に亡命するか、政府の言う通りのスタイルの絵を描いて国内にとどまるかの2択しかなかったらしい。国内にとどまったマレービッチは、写実主義の画家に戻る。後に描かれたタッチの荒い思いっきり写実の肖像画を見て、なんか胸がつまった。
 レストランの看板を1ルーブルの絵の具代と引き換えに描きまくったというニコ・ビロスマニという画家を知って大収穫。笑ってしまうくらい大らかな物の形が、ちょうどいい場所に納まっている、気持ちいい幸せを感じた。絵を描く楽しさがあふれてくる。
 よねは画家ではないが、ニコ・ビロスマニの物を作るときの姿勢を見習いたい。

投稿者 midori : 05:04 pm | コメント (0)

01 juli 2008

ホワイトスペース

080701.jpg甘いもの爆弾。ショコリクサーという食べ物。フローズンチョコのドリンクに、細かいチョコが混ざっている。東京駅の地下から繋がっている新丸ビルB1、ゴディヴァチョコのドリンクスタンドで。おすすめっす。
 Webデザイナーの卵さんたち向けに、単発でグラフィックデザインの話を頼まれた。よねがデザインを教えにいっているビジネススクールは、主にWebの仕事で働きたい人に技術を教えるビジネススクールである。人って半年とか1年で、どれだけがんばれるものだと思います?パソコンのスウィッチの入れ方もおぼつかなかった人がほぼ1年弱で、立派なホームページを作れるようになって社会に挑戦していく姿に、毎度感動させられている。
 デザインの中の「空き」について話をさせていただいた。教科書なんかには「ホワイトスペース」っていう用語で載っていることなんだけど、画面の中の何も書かれていない部分、「空き」の形を見るようにする。物のかたちは、その物の形だけではなく、その周りの「空き」のきれいな形があってこそ、美しく引き立つのだ。きれいなホワイトスペースを作れるようになると、きゅうにデザインを思う通りに操作できるようになる。
 しゃべりながら、突然、重大なことに気がついた。まあ当たり前といっちゃあ当たり前のことなんだけど。
 「ホワイトスペース」って、なにもデザインに限ったことじゃなくて、人の人生全体にもいえることなんじゃないか?
 人が人から選ばれたり評価されたりするときには、仕事の結果や肩書きだけが重要視される。仕事で立派なことがないと、社会的には信用を受けにくい。だから、仕事でなにしているか?の範囲だけで成長しようとしゃにむになりやすい。
 つい仕事に没頭して、仕事以外の時間を犠牲にしたり、最悪の場合は仕事で無理をして病気になったりするけど、そんな状態に向かい始めると、「仕事」に真面目にしゃかりきに向かえば向かうほど混乱は増し、やることなすこと空回りしていく。余白の形を無視して、言いたいことをつめこみすぎたデザインに、さらに追加情報を足すみたいなかんじだ。伝えたいことの焦点がどんどんぼやけていく。
 「仕事している時間」をデザインのエレメント(要素)に置き換えるならば、「仕事以外の時間」、つまり「ホワイトスペース」を満足して過ごせないと、仕事は良くならない、ということになる。
 (空きスペースばんざい!余白時間の過ごし方で、将来が変わっていくってことは、ビジネススクールに仕事しながら来ているの生徒さんたちを見てると明々白々である。)
 うーん。そう考えると、休み時間は大切だあ。いい本読んで、いろんな物を見て、いろんな人と出会って。豊かなホワイトスペースを!。

投稿者 midori : 02:08 am | コメント (0)