電車大好き
手作り感あふれるイルミネーション。大がかりでなく、洗練もされていないが。しんみり心にしみる。これがどこの光か?わかったあなたは偉い。
電車、乗るのも見るのも大好きだ。
今は、ほぼ毎日、JRかモノレールのどちらかに乗っているのだが、電車に乗るのが好きでなかったら、千葉から東京への通勤なんかやってられない。
発車時のドアが閉まって動き出すまでの感じ。もったいぶった加速感と、だんだん増えていく線路の音にわくわくする。それと電車のインテリア(というより、パーツ?)。いろんな形の金属パーツが組み合わさって、窓枠や座席や網棚や手すりとなっているのだが、なめらかな金属が組合わさった接合部分をみるとときめく。違う方向から伸びた金属が隙間なくがっちりとかみ合っているところに人間の手の技術のすごさを感じる。窓枠の角が丸いのも、あと、車両の前後のドアのノブも大好き。てっちゃんの中に部門があるとすれば、よねは断然、角丸とジョイントくんだ。
東京駅の地下4階の総武快速線のホームから、ホームライナー号というのが出る。21時台の1本が特急「あやめ」の昔の車両で、それに乗れると「ラッキー!」と思う。昔の車両ってどうしてこんなにかわいいのだろう。網棚も窓も、座席も、それから洗面所やトイレもすてき。住みたいくらいだ。
ゴミを捨てようとしたら、車両のデッキに昔風のごみ箱が。職人さんが描いた風の丸ゴシック体の文字で、「くずものいれ」と。くずもの、だってさ。ぐっときた。
投稿者 midori : 03:39 pm | コメント (0)
巡礼の道
JRの最寄り駅のホーム沿いの壁。先週まですごくいいグラフティーがあったのに。「柔らか戦車」の似顔絵だった(おそらく)。今日こそ写真撮ろう!とデジカメ持って家を出たのに。みごと上書き、お掃除済み。残念。こういうのって、まめに撮っておかなきゃだめね。反省。
「巡礼」っていうキーワードに強く引き付けられてて、この2週間くらい、ものすごい憧れ中。NHK総合テレビの「世界ふれあい街歩き」で、先月放映された「巡礼の道」シリーズがとても心に残った。なんども思い出すうちに、すっかりとりつかれています。
番組に出てきたのは、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」という街。フランス国境から歩き始めると平均25日かかるそうです。およそ800キロの道のりを、毎日ひたすら歩く。
サンティアゴ・デ・コンポステラまで、無事フィニッシュできたいろんな国の人たちが、大聖堂でミサをするシーンを見てたら、うるっときた。このミサはどんな国の人でも、キリスト教でない人でも参加できるそうなのだけど、名物の巨大な香炉をぶんまわす儀式がすごい。小学生が入れそうなくらいな重そうな丸い入れ物からから煙がもうもうと発生しつつあるものを、高い教会の天井から吊り下げて、教会の大男が10人くらいがかりで縄を引っ張り、サーカスの空中ブランコのように教会のお堂の中をぶんぶん振り回すというもの。
「昔の巡礼の人はお風呂にも入れなかったので臭いを消すためでした」というアナウンスが中島朋子の声で入った。
超、変わったシーンだったのだが、よねの心ははテレビの中の巡礼者の一人に飛び移ってしまった。切なさプラス暖かさプラス寂しさみたいな複雑な気持ちが湧いてきて、いっしょにお祈りをしたのであった。
そんな文を書こうと思い返していたら、先週「怖い絵」(中野京子・著 朝日出版社)という名画にまつわる裏話を集めた本の中で、グリューネヴァルト作「イーゼンハイムの祭壇画」という絵のエピソードと出会った。
この絵のあるフランスのストラスブールの聖アントニウス修道会も「巡礼」地の一つ。巡礼の終点の教会にましますこの祭壇画の中央には、貼り付けになったキリストが描かれているのだが、描写がやたらリアルで怖い。貴族やお金持ちの人の目を楽しませるためでなく、病気や悩みに苦しむ一般市民の癒しために依頼された絵だという。むごたらしく痛々しい面は実は蓋で、扉になっており、開くと、中からは輝くような美しいシーンが現れる仕掛けになっている、という解説を読んだ。いつもは怖い絵になっていて、日曜日になると扉が開かれ、おめでたいほうの絵が見られるんだって。(引用のGoogleからの画像はおめでたい面。下部の台座の部分に、怖いバージョンの片鱗が…。行き倒れた巡礼そっくりに表現されてるキリスト)
中世、ペストやハンセン病などの疫病は当時、原因なんかわからないから、「ばちが当たった」、あるいは「悪魔の仕業」とか誤解された。患者は住む場所を追われた。どんどん体は動かなくなり朽ちていく。痛い身を引きずって、放浪するしかなかった。どこへ?天国へ。聖地へ。
「巡礼」は、そういう人たちの唯一の救いであった。
運と体力があって、終点までたどり着いた人の中には、修道士たちが薬草を煎じてくれたり、信仰による慰めを与えてくれたり、救われるケースもあっただろう。でも、手や足が病によってだんだんに腐っていく不治の疫病患者にとって、「巡礼」に行くことは、事実上途中で死ぬことと同じだった。
このくだりを読んだよねの目の奥に、テレビで見たあの「巨大な香炉を振り回す」シーンがよみがえった。と、ともに、ひどい傷がどろどろに膿んで、汁がたれた人々がひしめく大聖堂が思い浮かぶ。「香炉」の必要性を衝撃的にリアルに理解した。
「巡礼」の道が、なんであれほどまでに悲しく美しく、なんでむやみにやたら遠いのか、その切ないわけもわかった。行き場のない人のため、やすやすとたどりつけないように、だ。二度とふるさとへは引き返せないように。死への旅だったから。
投稿者 midori : 02:18 pm | コメント (0)
カントリーロード
この日のドライブですごい大発見があった!いすみ市荻原にある天台宗の学問寺「行元寺」を、発作的にたずねる。武志伊八郎信由という彫師の手なる欄間を見た。
お昼ごろ、狩野派の絵を求めて入った小さな美術館で、伊八作のお神輿に釘付けになった。館内においてあったパンフレットに「波の伊八」の紹介が載っていて、伊八の手仕事が現存する房総の寺がいくつかあるということがわかった。その中の一つ、行元寺はこのすぐそばらしい、ということを知り、その後の予定を変更して、美術館の方に教えてもらった寺に直行した。あいかわらず無計画。けど、この日はそれが幸いする。
噂の彫刻は、仏間の隣の和室のふすまの上に、普通のお宅みたいに、あまりに普通にはめられていた。
大波の間に宝の玉が浮き沈みする一瞬をとらえたものなのだが、たたみに正座して見上げると、それが厚さたった十センチほどの木に刻まれたものとは信じがたいくらいの立体感で盛り上がって見える。止まっているはずなのに、浮かんだ玉が波の上を滑っていくかのような臨場感。まろやかな曲線で彫られた波頭と海水の流線の鋭さのメリハリがなんとも目に気持ちよくて、ずっと泳いでいたい感じなんである。
江戸時代「東に行ったら波を彫るな」と歌われたくらいの名人「波の伊八」は、ここいらの名主の子だったそうだ。馬で外房の海に駆けつけ、波を観察してたという。きっと馬で入れるぎりぎりのとこまで、水に入って波に見入ったんだろうな。
この彫刻はなんでも葛飾北斎が「神奈川沖波裏」のソースとしてインスパイアを受けた作品、と聞いてきたのだが、実物を見てびっくり。(写真撮影できなかったので、こちらを!)
欄間の裏側の左端のすみっこで、ほんとにほんとに北斎の浮世絵で見たことのある、あの波が「ばしゃーん」とはじけているのである!!こういうの好きな方は、もう、一見の価値ありです!!
投稿者 midori : 07:12 pm | コメント (0)
なんちゃってリゾート
同行した熟女ご一行が岩の上でおくつろぎの間、よねは「タイ古式マッサージ・フット中心お試しコース40分」にチャレンジした。「ポロロンパラロン」と静かなアジア調のヒーリングミュージックが流れ、お香が焚かれた特別室の中で、静かに横たわるよね。タイマッサージ師の山本さんに静かにご挨拶を受けた後……。
「×○×”いで---!!!」山本さんの足とひざとひじを駆使した、全身全力全霊を使ったワザをかけられたのだった。よねの両の足は、のされ圧され叩かれ、極度の刺激を受け、リンパ液がどくどくと一挙に全開、みごと開通したのであった!大好きな痛ギモの世界にとりこ。超元気になる。けど、痛いのがだめな人にはお勧めできません。
家から車で30分。千葉駅から房総方向に少し奥まった蘇我という駅の海寄りの土地に新しく開発された地区にできた施設なのだけど、リクライニングが並んだラウンジからは東京湾が見渡せる。テレビも食べ物も眠るスペースもある。露天風呂もサウナもある。本と音楽を持ち込めば、一日いられるなあ。
ってなわけで岩盤よりそのほかに魅せられたのでした。岩盤浴は汗かいたが、運動した後みたいな気持ちよさは望めなかった。
投稿者 midori : 11:43 pm | コメント (0)
小島への旅
飯田橋の神楽坂の甘味屋「紀の善」の脇の細い道を入ったところに、小津映画にでてくるみたいな昭和っぽさが残るファンタジックな飲み屋小路がある。ゆうべはそこの一軒、韓国料理屋に入った。キムチチジミと韓国春雨、豚カルビとマッカリで、楽しくおいしい一夜。
酒の肴がもう一つあった。
エルバ島という、イタリアの小島にお嫁に行った友だちがいることは前に話したことがあるけど、日本で働く別の友人が去年の9月にその島をバカンスで訪ねた。その旅の写真を見せていただき、一枚一枚説明を聞く。(エルバ島豆知識:ナポレオンが流されて、復活をくわだてた地。グラン・ブルーのイルカ男のモデル、ジャック・マイヨールが絶命した地だということも知る)
すごい青の海、底の白い石が、水がないみたいに透けて映っている。「写真にこのブルーが写るかね」と、話しながら撮ったという。肉眼で感じたのとほぼ違いない色、と、友人は言ってたけど、本物のほうが、もちろんこの数倍美しいのだろう。友だちに海の写真と友人の3歳と1歳の娘たちの写真をねだった。
3歳の友人の長女はバイリンガルに育っているという。日本からのお客さんがいるあいだに、すごく口数が増えて、日本語が上手になったって。
エルバ特産品の蜂蜜をお土産にいただいた。ナッツが浸けてある。お昼に、薄く切ったフランスパンに塗って食べたら、イタリアに旅したみたいな気持ちになった。