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巡礼の道

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JRの最寄り駅のホーム沿いの壁。先週まですごくいいグラフティーがあったのに。「柔らか戦車」の似顔絵だった(おそらく)。今日こそ写真撮ろう!とデジカメ持って家を出たのに。みごと上書き、お掃除済み。残念。こういうのって、まめに撮っておかなきゃだめね。反省。
 「巡礼」っていうキーワードに強く引き付けられてて、この2週間くらい、ものすごい憧れ中。NHK総合テレビの「世界ふれあい街歩き」で、先月放映された「巡礼の道」シリーズがとても心に残った。なんども思い出すうちに、すっかりとりつかれています。
 番組に出てきたのは、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」という街。フランス国境から歩き始めると平均25日かかるそうです。およそ800キロの道のりを、毎日ひたすら歩く。
 サンティアゴ・デ・コンポステラまで、無事フィニッシュできたいろんな国の人たちが、大聖堂でミサをするシーンを見てたら、うるっときた。このミサはどんな国の人でも、キリスト教でない人でも参加できるそうなのだけど、名物の巨大な香炉をぶんまわす儀式がすごい。小学生が入れそうなくらいな重そうな丸い入れ物からから煙がもうもうと発生しつつあるものを、高い教会の天井から吊り下げて、教会の大男が10人くらいがかりで縄を引っ張り、サーカスの空中ブランコのように教会のお堂の中をぶんぶん振り回すというもの。
 「昔の巡礼の人はお風呂にも入れなかったので臭いを消すためでした」というアナウンスが中島朋子の声で入った。
 超、変わったシーンだったのだが、よねの心ははテレビの中の巡礼者の一人に飛び移ってしまった。切なさプラス暖かさプラス寂しさみたいな複雑な気持ちが湧いてきて、いっしょにお祈りをしたのであった。
 そんな文を書こうと思い返していたら、先週「怖い絵」(中野京子・著 朝日出版社)という名画にまつわる裏話を集めた本の中で、グリューネヴァルト作「イーゼンハイムの祭壇画」という絵のエピソードと出会った。
 この絵のあるフランスのストラスブールの聖アントニウス修道会も「巡礼」地の一つ。巡礼の終点の教会にましますこの祭壇画の中央には、貼り付けになったキリストが描かれているのだが、描写がやたらリアルで怖い。貴族やお金持ちの人の目を楽しませるためでなく、病気や悩みに苦しむ一般市民の癒しために依頼された絵だという。むごたらしく痛々しい面は実は蓋で、扉になっており、開くと、中からは輝くような美しいシーンが現れる仕掛けになっている、という解説を読んだ。いつもは怖い絵になっていて、日曜日になると扉が開かれ、おめでたいほうの絵が見られるんだって。(引用のGoogleからの画像はおめでたい面。下部の台座の部分に、怖いバージョンの片鱗が…。行き倒れた巡礼そっくりに表現されてるキリスト)

 中世、ペストやハンセン病などの疫病は当時、原因なんかわからないから、「ばちが当たった」、あるいは「悪魔の仕業」とか誤解された。患者は住む場所を追われた。どんどん体は動かなくなり朽ちていく。痛い身を引きずって、放浪するしかなかった。どこへ?天国へ。聖地へ。
 「巡礼」は、そういう人たちの唯一の救いであった。
 運と体力があって、終点までたどり着いた人の中には、修道士たちが薬草を煎じてくれたり、信仰による慰めを与えてくれたり、救われるケースもあっただろう。でも、手や足が病によってだんだんに腐っていく不治の疫病患者にとって、「巡礼」に行くことは、事実上途中で死ぬことと同じだった。
 このくだりを読んだよねの目の奥に、テレビで見たあの「巨大な香炉を振り回す」シーンがよみがえった。と、ともに、ひどい傷がどろどろに膿んで、汁がたれた人々がひしめく大聖堂が思い浮かぶ。「香炉」の必要性を衝撃的にリアルに理解した。
 「巡礼」の道が、なんであれほどまでに悲しく美しく、なんでむやみにやたら遠いのか、その切ないわけもわかった。行き場のない人のため、やすやすとたどりつけないように、だ。二度とふるさとへは引き返せないように。死への旅だったから。