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15 april 2011

若い発明家、新しい指導者求む

110415.jpg振り回されるのは、なるべくパスしたい。けど、きれいだよね。鉄の段々。20世紀のデザインってかんじだよねー。ところで、このブログに書いたことって、いつのまにか広がっていたり、かなったりした、というジンクスがあるのです。ですのでこれからはちょくちょく、希望を述べていくことにします。
 我が家は、3月30日にほうれん草から多量のヨウ素が検出されてニュースになった千葉県多古町から20キロぐらいの場所にあります。近所には牧場なんかもあるくらいの田舎に住んでます。
 本日は朝から座りっぱなし。4時過ぎまで仕事をして体が固まったので、近所の野菜の直売所に買い物に行くおかんにくっついて出かけた。
 ちなみにこの直売所は節電対策で午後5時閉店。閉店間近というのに、ほうれん草は山盛りに売れ残っていた。水菜も。
 よねの母はためらうことなく、山盛りのほうれん草コーナーに行き、いちばん元気良さそうなわっさわっさの一束を選んだ。それから、たけのこ、しいたけ、トマトと、千葉の牧場のミルクで作ったアイスクリームも購入しました。
 一生懸命作る方がいて、野菜が売られている限り、わたしたちはそれを普通にいただいていこう。うちの家族はそう決めています。
 悲しい予測に一喜一憂して心配ばかりしているより、野菜を買って、三食ともバランスのいい食事を料理して美味しくいただく。このほうが、健康的な気がしませんか?。

 この次チャンスがあるならば、必ず「原発を減らす」と表明した人に投票しようと決めている。それから、蓄電池とか、太陽光発電とか、風力発電とか、自然エネルギーの開発をプランに組み込んでいる人をよね応援します。
 早々に、パソコンと冷蔵庫と炊飯器が動くぐらいの発電が自宅で自前で発電できるような、簡易発電機が2年間分くらいの電気代合わせた額くらいでつけられるようになったらいいなあ。あるいはたやすく蓄電できるようになったら、どんなに安心なことか!
 鳥人間コンテストとか、ロボコンとかで優勝するような、発明家大学のきてれつ大百科的学生さん達には、ぜひ、がんばってほしい。

 原発を建てなくてはいけない理由が20世紀にはあった。原発のおかげで今の日本があるとも言える。いろいろな偶然が重なっての事故だというが、でももう、起きてしまったのだ。考えを切り替えるべきだと思う。
 こんな大事故を起こした原発を設計しておきながら「原発を今後もこれまでどおり売っていく」と宣言した某大会社の偉い人の発言に無神経さを感じる。
 こんなにもみんなが怖がっているこの時期に、「注文がくんだから、見直しなんかなし。どうせ海外なんだから」という立ち位置は日本人としていかがなものか。
 月にかわっておしおきをしたい。掃除機ほしいが、原発を受注していないメーカー製のものを選ぶことにする。

  不幸中だけど、いろいろラッキーなことも生じていて、今の状況だと思っています。この結末が良くても悪くても、残りの人生を世の中に捧げる。
 わたしたちって、 自分で生きているような気になっているのですが、そんなことない、生かしていただいているのだ、と気がついた。事故がなければ一生開けなかった悟りかもね。
 現在も被害を小さく食い止めようと現場で懸命に働いてらっしゃる方々。
 その方たちに心から感謝です。

投稿者 midori : 05:12 pm | コメント (0)

14 april 2011

目にした元気が出るもの

110414.jpgよねのうちの近所にはこんな丘があります。圧倒的なフクシャピンク。この花の色には生き物の命のやる気を燃え上がらせる効果がきっとある。
1 「景気回復を祈るくらないなら、新製品を買え」
 秋葉原の駅のエレベーター降りるときに目にした、広告のコピー。
 週刊アスキーかなんかだったけど、つい、笑ってしまった。この後、用事があったので、反対側の出口に向かったけど、仕事がなかったらきっとそのままヨドバシカメラに直行していたと思う。
 掃除機、買いたいな。
2 湾岸浦安
 帰り道。東京駅から御成台車庫行きの高速バスに乗ったのだけど、このバスは湾岸道路を通る。
 浦安にさしかかったところで海側に目をやると、ディズニーランドに明かりが灯っているのを発見した。
 まず、手前にあるホテルの屋根に縁飾りみたいに細かいライトが点灯しているのが目に入った。その向こうに、淡くひかるお城が見えた。
 弱い光なんだけど、だれかが帰って来た、みたいな気がした。
 それから、その脇で、20本くらいのサーチライトが輪になって並び、上がったりさがったりして、動いているのも見えた。
 なんか、涙が出るほど、じんとしたな。

投稿者 midori : 02:14 pm | コメント (0)

11 april 2011

さくらさくら墓参り

110411.jpg
としまえんの桜4月7日の模様。古くからの庭園だっただけあって、ここの桜は一本一本が枝ぶりが掛け軸の絵の中の木みたいに整っている。まるで盆栽を大きくした感じ。桜+ビール+樽酒+焼き肉+あと、なんと、こたつ!さすが、としまえん!
 地震から一ヶ月たちました。ちょうど、一ヶ月前の今ごろ。恐ろしいことが起こった時間。今後毎月11日は津波の日。生きてることに感謝を捧げ、なにか一つでも、一分でも、社会と公共のためになる作業を進めることにしよう。
 
 ひゃー。またまたものすごい大きな地震がありました。
 津波おこりませんように!

 千葉市内のよねの家らへんは、都内より少し寒いらしく、毎年桜のラッシュが一週間遅れます。本日はお昼に家族でコーヒーとサンドイッチと敷物を持って、平和公園というところに花見に行きました。
 平和公園は遠足やハイキングの目的地にぴったりな距離にあり、広い原っぱがある。広場の周りにものすごい数の桜の木が植わっているので、毎年桜の季節に最低でも一回は家族で弁当か、朝ご飯を食べに行く習わしになっているのだけど、実はそこは市営の霊園。墓地公園です。
 花見とともに、欠かさないセットになっている行事があって、それは恩師のお墓参りです。よねが高校のとき部長をしていた美術部の顧問だったあきよし先生のお墓です。

 不思議なご縁で、昨年から高校でも先生をしています。今朝は今週から始まる新学期の準備を進めていたところでした。
 
 高校のときに美術部に入ったことがもとになり、よねは美術の学校に進むことになり、もらえるものはいただいておこうと、大学のときに教師免許を取得していたのです。持っていることすら20年以上ずーっと忘れていたのですが、昨年秋から高校の先生をすることになりました。

 お花見に出かけるときに線香やら花やらを準備しながら、ふと気がつきました。
 今、高校や大学で先生の仕事をしているのは、あきよし先生のおかげかもしれない。

投稿者 midori : 05:45 pm | コメント (0)

02 april 2011

岡本太郎のげーじつ(生き方)にあこがれる

110402.jpg
桜の花が開き始まりました。幹の方は温かいのかしら。枝先はまだつぼみなのに。春、開始です。いろんなことを決めました。
 岡本太郎の芸術作品は、目を細めてじーっと眺めてしみじみその美を味わう性質の彫刻や絵とは違う。
 描いてあるものが何だとか、かんだとか、ピカソのゲルニカを分析するみたいに謎をひとつひとつひもといていくのも違う気がする。

 太陽の塔は博覧会場の人ごみと熱気と興奮があって、やっと初めて、完成した作品として成り立つ、ような気がする。作品を巡っていいとか悪いとか言う人がいて、賛成する人や反対する人やお金のやり取りがあって、その時間と摩擦や情熱や勢いそのものが作品と解け合って、やっと建てることができた。岡本太郎は単なる彫刻家や画家というより、「お祭り(人の生自体)」を形にするインスタレーションアーティストであるとと、よねは思う。
 ばかばかしい(失礼!)くらい大きなものを完成させてそれを喜ぶ、祭りそのもの喜びと活気の記憶が、万博の映像や太陽の塔の縮小モデルから流れてくるのを味わって、悔しく感じた。よねは大阪万博の会場に行っているはずなのだが、そのときは小学校1年生。ものすごく長い間行列に並んだことと、人生初ブルガリアヨーグルトを食べたことはしっかり覚えているが、太陽の塔の内部を見た記憶はない。今の視点で味わいたかったなあ。
 
 クリストという芸術家の「アンブレラプロジェクト」という作品を30代のはじめの頃にリアルで見たことがある。そのとき、クリストさんが、「傘自体の設計図を描いたり、色を選んだり、また、作品やリトグラフを作ることだけが作品なんじゃなくて、プロジェクトの行為すべてが芸術。農家に傘を立てさせてほしい、とお願いしてまわるのも、お金を集める行為も、警察や役所に交渉にいくのも、行為こそがわたしの作品」と言った。クリストさんの口からじかに聞いた。つまり、有名なリトグラフはただ単に資金を得るための副産物という位置づけ。

 これを聞いてから、よねの生き方がある意味変わった。
 クリストさんの言葉で魂がほっと救われた。
 そのころは、デザイン以外の仕事があまりに多いので、デザインに集中できない、ということをすごく腹立たしい、と思っていたのだった。(いまだって、デザイン以外の用事がとても多いが、今はクリストさんのおかげで、全部ひっくるめてデザイン、と大らかに生きている)

 きれいな物を作るにはいろんな条件が揃っていなくてはいけなくて、人はきれいな物の結果だけを見る。だけど作る側からすれば、きれいな物にするために、していることは準備でもなんでも、すべてが繋がっている。そのための行為はひっくるめて制作と呼んでも良いのだ!色や形の「美」は制作物のほんの一面でしかないのだ。

 日本がこんな状況のときに岡本太郎がちょうどフューチャーされていることに偶然の素晴らしさを感じる。
 太郎にとって、困難や問題を乗り越えること自体が芸術であった。笑っちゃうくらい、大らかな彫刻。子どもみたいに自由な絵。
 絵をきれいに描いたり、絵画展で受賞したり、学校でいい成績をとってほめられたりするのがアートではなくて、人を動かし、幸せにするのがほんとうの芸術という行動なのだ、と、知った日の感動がよみがえったよ。じゅうぶん元気をもらった。

 浦安市の運動公園の門に岡本太郎の彫刻が引っ付いているのもついでに思い出した。東北と同じくとんでもない災難の渦中におられる浦安にお住まいの方々にもお見舞い申します。岡本太郎とディズニー、二大アーティストがついているのだから、きっとハピーエンドになると信じる。
 森田健作ーう、千葉県はこれまでディズニーランドのおかげでずいぶん助かっているんだから、浦安の人をなんとかしてあげて。

投稿者 midori : 07:27 pm | コメント (0)

01 april 2011

さあ、出かけよう。近くに遠くに。

110401.jpg国立近代美術館の岡本太郎展。最後にタロー語録みたいなコーナーがあり、いい言葉を見つけた。メモってたら、さいごの三角くじコーナー(箱の中に手をつっこんで、くじを引く→あけるとワードというお楽しみ)で、偶然、さきほど書き留めた言葉を引き当てた。
 今週は仕事が1ミリも進んでいません。いろいろな考えにとらえられて、手がちっとも進みません。気が緩んでいるのか、どっと疲れてしまったのでしょうか。わかりません。しなくてはならないことが手に着かない。クリックしまくるだけで日が暮れたりしてます。
 こんなときは、もう、あきらめます。自分が納得いくまで、どこまでも突き詰めて考えたいことを考え進めます。
 昨日は木曜日。
 一週間同じ姿勢でいるのはまずいと思って、鉛筆とノートを持って、出かけてみました。家の中とかパソコンの前とかだと、なんだか仕事から逃避しているようなうしろめたい気持ちに襲われます。うしろめたいときは堂々巡りしやすいし、悲しいイメージしか出て来なかったりしやすいですしね。
 ほんとは旅行とかに行くことができれば良いのでしょうけど、どこか遠くに行かなくても、普通の毎日を多少旅目線で眺めることは可能です。
 
 いつもと違うルートで出かける、というのをやってみました。
 東京駅までの高速バスで都内まで出かけてみました。
 最近、東金〜千城台〜東京という路線ができたのです。うちから2分の最寄りのバス停にも、高速バスは止まってくれる。すごーく便利だよと、その評判は聞いていたのですが、ふだん私はモノレール〜JRの定期券を購入しているため、まだ一度も利用したことがありませんでした。たまたま定期券も期限切れだったため、初めてトライしてみました!
 
 いやはや!眺めがいい!近所のバス停から、すっとバスに乗って、ゆったりシートに座ったまま、階段の上り下りも全くなく、東京駅からは少し離れた、地下鉄の日本橋駅の入り口近くの降車場でバスを降りました。
 そのまま東西線で竹橋に行きました。国立近代美術館で岡本太郎展を見て、復路もバスで。東京を18時10分に出発して、7時5分には自宅の食卓に着いていた!早い!信じられない!

投稿者 midori : 05:38 pm | コメント (0)