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17 oktober 2009
幻想美術館で夢を見る
なんの実かしら?美しい枝。ブログに使ったあと、この写真はトレースされ、作り中のサイト中のイラストになります。
デザインの講義授業の初日。生まれて初めてのパソコンなし先生だ。普通はそれがあたりまえなんだろうが、しゃべりだけで授業を持たせるのはよねにとっては難しい挑戦である。マウスとモニターがない状況にかなり緊張した。
朝からの授業だったので早めにフリータイムになる。久しぶりに昼間の渋谷に開放されたよねは、まっすぐBunkamuraミュージアムに向かった。「ベルギー幻想美術館」をめざす。
何年か前にオランダに留学した友達(職業はちゃんとした学者だが、中身はかなりのおたく)が「ポール・デルボーの良さを発見できたので、すごく行ってよかった」とベルギーの美術館の良さを自慢していたのを覚えていた。
この美術展は姫路市の市立美術館の所蔵展なので、日本にあるコレクションの展覧会なのだが、とてもよかった。
ポール・デルボーは、瞳が大きくて、おっぱいの大きな女の人が裸で、現実にはありえない風景の中に何人か、静かに立っていたり、歩いていたりする絵を描いた人である。シュルレアリズムという部類の絵なんだが、その絵は見ていると、そこに行きたいような、反対に「その絵の中に入り込んでしまって帰れなくなったらどうしよう」的な妙な気持ちを同時に感じる。
夜、人と飲んでいるときに、ふと、「自宅の自分の部屋にもう1人自分がいて、今の自分はもう1人の自分の想像の中の自分じゃないか」などと妙な気分にとらわれる時がある。あと、夜中に水を飲みに起きたときなんかに、「ほんとうはよねは85歳で、今は85歳の自分の見ている夢なんじゃないか」と真面目に考えるときがある。そのときの静かで奇妙な心の様子を絵にしたみたいな感じ。
もともと形のない物は描けない。それまでは描かれなかった「言葉にできない気持ち」がさかんに表現されるようになったのは、19世紀の終わりから20世紀の初めごろ。「情欲」とか「嫉妬」とか「不安」とか、人に説明するのさえもたいへんな目に見えないものを形にしてみよう。そういう挑戦が美術の世界全体で始まっていた。その頃ベルギーでは、アフリカの植民地で儲かって社会が豊かになっていた。頽廃的だったり、ちょっと極端な派閥のキリスト教がらみの神秘性とエロがまざったみたいな作品など、それまでには人があまり飾ざれなかった不思議な絵が人気を得ることとなった。
ポール・デルボーは風景や小道具、主人公のポーズや身につけたものに実際にはありえない組み合わせを施して、(たとえば衝撃的にあり得ない場面で裸)見る人に妙なことを知ってしまったときのような感情を思い出させる風景を作った。
若い頃はちっとも興味を持てなかったシュルレアリズムを、少しは味わえたきがする。今、この瞬間に、この絵に向き合っていることに感謝する。
午前中のしゃべりでかなり疲れていたらしい。ポール・デルボーの前に休憩用のソファがあった。腰をかけ、ぽさっと眺めていたら、ほんとうに夢の国に飛んでしまった。
投稿者 midori : 09:57 pm | コメント (0)
07 oktober 2009
『THE GINZA WAS.』
「聖」というワードをキーに課題を出した。今朝、メールで送られてきた生徒の作品をチェック中、笑っちゃう「聖」作品に混じって、イラストレーターの友人からのメールが。「天使の画像を探していて見つけました。とても良かったので、オススメです」偶然な「聖」つながり。きれいな声を聴きながらシンクロの話をどうぞ。
ときどき、起こる関係ないことの不思議な一致。シンクロ。ただの偶然なんだろうけど、よねは、いつもなんか大切なことのサインだと受け止めている。
最近受け止めた偶然の話。
フリーランスになる前、よねが14年間勤めていた会社が、今年始めに業を畳んだことは前回書いた。親会社があるので倒産とかではないけど、たくさんの人が職を失う。遠くからいろんなうわさ話が回ってきた。その渦中にいる社員がどんなに不安か、怖い思いをしているかが、痛いほどわかっていた。だので、すべてが決まって落ち着くまでは、と、直接その会社の関係者に会うのは控えていた。
でも、この夏休み中に、久しぶりにその会社時代の友人と飲む機会ができた。
お互いビールを10回ぐらいおかわりして、かわりばんこにトイレにいった。なんであんなに笑ったのか覚えていないが、楽しい思い出話ばかりがでた。つらいと思っていた体験ほど、げらげら笑う話題に変わっちゃうのだから、時って不思議だ。
笑っている最中、「山田さんが閉店記念の本を作った」という話が友人から出た。
山田さんはよねのいた会社の創設者みたいな人物だ。親会社のコンペに山田さんの企画が選ばれて、その会社が立ち上がった。よねが入社したときは専務だったが、ショップや商品のアートディレクションも手がけていて、よねのディレクターでもあった。じきに社長になり、会社を100億円の商いの会社に育てて退職された。その後、何代か社長は交替したのだが、代替わりするたびに、会社は山田さんの目指したものと違うものに変貌していって、じきによねも辞めた。
「非売品の本だけど、よねちゃんにも絶対送ってもらえると思うから連絡してみなよ」
友人が翌日、わざわざ窓口の経営部門の電話番号をメールしてくれた。
「社員の数は半分に減りました。当時の賑やかさが懐かしいです」
すぐに記念本が、事務の社員さんのお便りとともに郵便で届いた。開けてみるとタイトルは『THE GINZA WAS.』創設からのストーリーと、ショップや販促品、広告、商品などのアートディレクションを綴った内容だった。
ちょっと「にやり」としちゃった。このブログ「Yone is…」のタイトルを思いついたときに山田さんの教えを復習する、ということは一瞬たりともなかったのですが、何年かをまたいで山田さんの本のタイトルと(ひょっとしてあちらが?)シンクロしている。よねがまごうことなく山田さんの影響を強く受けていて、山田式思考が身にしみ付いていることがはっきりしたよ。
なかなかOKをもらえなかった案に手直しを重ねた徹夜明けの朝、GOサインを出してもらえて、死ぬほどほっとした若き日を思い出した。