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幻想美術館で夢を見る

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なんの実かしら?美しい枝。ブログに使ったあと、この写真はトレースされ、作り中のサイト中のイラストになります。
 デザインの講義授業の初日。生まれて初めてのパソコンなし先生だ。普通はそれがあたりまえなんだろうが、しゃべりだけで授業を持たせるのはよねにとっては難しい挑戦である。マウスとモニターがない状況にかなり緊張した。
 朝からの授業だったので早めにフリータイムになる。久しぶりに昼間の渋谷に開放されたよねは、まっすぐBunkamuraミュージアムに向かった。「ベルギー幻想美術館」をめざす。
 何年か前にオランダに留学した友達(職業はちゃんとした学者だが、中身はかなりのおたく)が「ポール・デルボーの良さを発見できたので、すごく行ってよかった」とベルギーの美術館の良さを自慢していたのを覚えていた。
 この美術展は姫路市の市立美術館の所蔵展なので、日本にあるコレクションの展覧会なのだが、とてもよかった。
 ポール・デルボーは、瞳が大きくて、おっぱいの大きな女の人が裸で、現実にはありえない風景の中に何人か、静かに立っていたり、歩いていたりする絵を描いた人である。シュルレアリズムという部類の絵なんだが、その絵は見ていると、そこに行きたいような、反対に「その絵の中に入り込んでしまって帰れなくなったらどうしよう」的な妙な気持ちを同時に感じる。
 夜、人と飲んでいるときに、ふと、「自宅の自分の部屋にもう1人自分がいて、今の自分はもう1人の自分の想像の中の自分じゃないか」などと妙な気分にとらわれる時がある。あと、夜中に水を飲みに起きたときなんかに、「ほんとうはよねは85歳で、今は85歳の自分の見ている夢なんじゃないか」と真面目に考えるときがある。そのときの静かで奇妙な心の様子を絵にしたみたいな感じ。
 もともと形のない物は描けない。それまでは描かれなかった「言葉にできない気持ち」がさかんに表現されるようになったのは、19世紀の終わりから20世紀の初めごろ。「情欲」とか「嫉妬」とか「不安」とか、人に説明するのさえもたいへんな目に見えないものを形にしてみよう。そういう挑戦が美術の世界全体で始まっていた。その頃ベルギーでは、アフリカの植民地で儲かって社会が豊かになっていた。頽廃的だったり、ちょっと極端な派閥のキリスト教がらみの神秘性とエロがまざったみたいな作品など、それまでには人があまり飾ざれなかった不思議な絵が人気を得ることとなった。
 ポール・デルボーは風景や小道具、主人公のポーズや身につけたものに実際にはありえない組み合わせを施して、(たとえば衝撃的にあり得ない場面で裸)見る人に妙なことを知ってしまったときのような感情を思い出させる風景を作った。
 若い頃はちっとも興味を持てなかったシュルレアリズムを、少しは味わえたきがする。今、この瞬間に、この絵に向き合っていることに感謝する。
 午前中のしゃべりでかなり疲れていたらしい。ポール・デルボーの前に休憩用のソファがあった。腰をかけ、ぽさっと眺めていたら、ほんとうに夢の国に飛んでしまった。