« januari 2005 | メイン | maart 2005 »
24 februari 2005
河野鷹思のグラフィックデザイン
昨日は東京に出た用事のあと、国立近代美術館で催されている展覧会「河野鷹思のグラフィックデザイン>」に寄った。
河野鷹思というのは昭和の始め、それと戦後の日本のグラフィック部門を支えた重鎮の一人。今のみずほ銀行が第一勧業銀行だったころのハートのマークをデザインした人だ。
もう、ひさびさに泣いたね。そのかわいさに。色面に込められた愛情というか、ほほえみというか、人を楽しませてやろうといろいろな仕掛けが仕組まれている、おもしろ心あふれる印刷物に!すっごく良かった!恥ずかしながら、河野鷹思さんの作品をこうして、作者を意識してちゃんと見たのは初めてだったので感動ひとしお。日本人で良かったなあ。
戦前の雑誌の表紙や映画、演劇のポスターには今の印刷物にはない、のんびりしたウィットが満載。ケースを壊して盗みたいくらい好きな物がいっぱいあった。本のカバーなんかも手がけているのだけど、「ああ、こういうのもありね」というふうに、手作り本やホームページの仕事の参考にすぐなるアイデアもしっかり心のカメラで撮った。ぱちり。
よねが受け止めたのは、色とか、顔とか、面積とか字の形とかすぐに仕事にいかせる小手先のヒントだけじゃない。この展覧会では、なんだかもっと深くて正しくて尊いものというか大切なものを、いただいた。
「これでいーのだ!」を聞いたのだ!
知らない道を不安がりながら進んでいるときに、海、とか、川とか山とか大きな目印の建物が視界に入って、「ああ、この方角で違っていなかったんだ!」と確信する瞬間って、あるじゃない。そういった感じとでもいおうか。
よねのデザインの仕事の向いている方角がこっちであってたんだ。いままでいろいろあったけど、今はこの方角に進むのみ!そういう自信。もっと大げさに言うと、現在毎日送っている暮らしじたいの行方についても。「こんなあたしで、いったいいーのだろうか?」と、不安に思う場面がななかったわけでもないのだけど、その不安を打ち消す天の声を聞く(大げさ!)。
近美に着いたのが4時25分。閉館35分前というタイトな持ち時間だったけど、集中してかぶりつきでがーっと回る35分の間に、目から入った河野鷹思細胞が体内を駆けめぐって足の裏に到達し地面につながって、なんかよねのふにゃふにゃしていた足元がみるみるぴしーっと固まってまわりに広がって行く。そんな感覚を味わった。あんまり時間ないのでやめようかとも思ったのだが、行ってよかったなあ。
この展覧会は2月いっぱい。あと数日しか会期がないんだけど、ものを作る仕事してる読者にはぜひみていただきたい!
超おすすめ!
投稿者 midori : 10:50 am | コメント (0)
15 februari 2005
とりの日
2月14日が終わりました。みなさん、いかがお過ごしでした?
よねたちは今年もだいたんな襲撃作戦を決行。衣装デザイナーの友人Oに、「とり」のコスチュームを作っていただき(おいおい、バレンタインだぞ!ハローウィンじゃないぞよ)、Oといっしょに2羽の白鳥?(*^*)(*^*)に扮して、ふだん不義理をはたらいているN恩師(酉年生まれ)にご挨拶。N先生は締め切りに追われてて編集の方も事務所に詰めてる。「今夜は徹夜」とかおっしゃってた。そんな中、えらい迷惑だったと思うけど、今年も追い返されることなく、まんまとチョコを渡して逃げ帰ってきました。
襲撃作戦大成功!
投稿者 midori : 11:12 am | コメント (0)
09 februari 2005
図書館の本
「モンテ・クリスト伯」の3巻を図書館で借りてきたら、写真のような補修の跡が残っているのを見つけた。この文庫本は昭和49年の発行の活版印刷の本だが、多くの文庫本は昭和40年代にはすでに、かがりとじから、背を裁ち落とす製法に変わった。
一枚一枚ののページはホットメルトという糊で固めて作られているだけだ。新しいうちはいいのだが、こうして20年も30年も先になると背の糊が効かなくなって、ページがぱらぱら抜け落ちる現象が起きてくる。
1、2巻をめくるときもじつは、そろそろ形が崩れてきそうなのをそうーっと読んでたのだが、この巻は痛みが激しい。途中、セロテープを糊の跡がべったり残っているページも出てくる。だれか乱暴な人が借りていたのだろう。4巻は比較的きれいだ。
この本は、ぶちっ、ぶちっと開けられた目打ちの穴に、太い木綿をとおして縫った上を、カバー用のビニールで覆ってある。目打ちの穴を開ける前に引いたボールペンの当たり線と、裏のほうにまわされた糸の固い結び目を見つけて、どんな人がどんな気持ちで直したのか、考えた。
いろんな人の手をへてきた古い物には、いろんな時間が刻み込まれていく。本屋で新品を買って読んでいたら、物語に対する印象はぜんぜん違ったものになっていただろうと思う。