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16 juni 2011
見た方がいい橋口五葉
出発しんこーう。どこを旅している途中か、わかったあなたは偉い。加速のときとカーブ。あと、坂。うかつにもわくわくして、写真撮っちゃった。
今週から千葉市立美術館で橋口五葉の展覧会がはじまった。漱石の「我が輩は猫である」の装幀をした人であーる。大正時代に活躍したグラフィックデザイナーの先駆けで、あーる。
今月からお休みが週二日になったので、こうして美術展にもさくっと出かけられるようになった。朝、早めに家を出発してまた徒歩で美術館まで。散歩が最近のよねの唯一のスポーツであるから、運動も用事も楽しみもぜんぶ兼ねてる。
散歩はともかく、橋口五葉は、ものすごい見応えであった!グラフィックデザインを勉強している人は行った方がいい!千葉、都内からはちょっと遠いけどね。7月いっぱいまでやってます。
女の人が浴衣を羽織って、日本髪をほどいて櫛でとかしているシーンをとらえた、ものすごい浮世絵がこの美術館の所蔵品であるのだけど、以前、別の展覧会でここのボランティア解説の方に、その浮世絵の作者が「橋口五葉」であると教わった。五千円札の樋口一葉と名前そっくりさんなので一発で覚えた。五葉の浮世絵は大正時代に刷られたんだということだった。
黒髪の1本1本が木版のきりりとした線で描かれていて、緻密な線の流れとの対比で顔首胸の肌のなめらかさがものすごく強調されているうつくしい絵。初めてその浮世絵を見た時、一本の線ってなんていろんなことを物語るんだろうとしばらく動けなくなるほどじーんとした。今思うと、そうか。なんであんなに響いたのかわかった。おなじデザイン道のずっと先輩なのだ、五葉は。
このたびの美術展は鹿児島から東京美術学校に入学のために状況してきた五葉の画家としての出発から、40歳の早い死までの仕事ぶりを一同に集めた展覧会でした。スタートは日本画や洋画を学んだ美術学校の関係者、黒田清輝や藤島武二なんかと並んだ写真から。
画家としてもいけたのかもしれないけど、その後、五葉は本の装幀を業とするようになる。出版社のポスターや、絵はがきや挿絵なども手がける。原画やスケッチの保存状態の良さに仕事への誇りが伝わってくる。画家ではないけれど、絵画とおなじように、デザインの仕事もきちっと自分の作品として重ねていったのだなあと感じる。
「我が輩は猫である」の装幀の版の原画とラフスケッチはすばらしかった。うすい透き通ったハトロン紙みたいな紙に墨で描かれていた。それから方眼紙に下絵を鉛筆で書き込んだものも残されていた。ビアズリーやウィリアムモリスの装幀もお手本にみていたに違いない。
五葉がいかに印刷やインクの技術に精通し、製本の職人さんを自分のパートナーとして大切にして仕事をすすめていたことが、伝わってくる。
出版された本の実物も展示されていたが、こんなにいろんなエディションがあるのを知らなかった。装幀の魅力に後押しされて、大好評で出版を重ねていったのだなあとわかる。岩波書店の壷のマークも五葉作だって。あと、「五」という漢字と葉っぱを組み合わせた五葉のトレードマークもかわいい!
グラフィックデザイナーとして仕事が認められた30歳の夏に、五葉は約1ヶ月の九州へのご褒美旅行に出かけるのだけど、その旅でたくさんのスケッチを残している。この旅で五葉はライフワークになる「旅先の風景」と「おねいさんお風呂シーン」という浮世絵のテーマをつかまえる。そのスケッチもとてもいいんだ!
よねがいちばん気に入ったのは、山や空、温泉が吹き出て湯気がたちのぼった水辺の風景のスケッチ。それには空が描かれていて、そこを見ている瞬間の五葉の全開になった幸せ感がよねにも伝わって来て、脳の後ろにりんりんと、震えがきた。泣きそうになったよ。
投稿者 midori : 05:06 pm | コメント (0)
14 juni 2011
細部に神さまは居る!
駅で乗り換え中、目の前をなにかがさぁ〜っと横切った!なに?なに?今のなに?工事中の駅構内をジブンち化しているつばめくん発見。
ことしも無事、誕生日を越えることができました。現在、49周目に入って4日過ぎてます。今日は火曜日。ゲットしたての休日です。少し心に余裕ができました。近況報告します。
10日は金曜日でした。朝9時10分の東京駅八重洲口行きの高速バスで地元を出発しました。午前中はクライアントさんと打ち合わせ、お昼すぎに大学に入り、教員の準備室でお弁当。午後は1時から7時半まで授業。
今年は震災の影響で新学期の始まりが1ヶ月遅れてて、授業の開催回数も少ないのです。始まる前にだいぶ教材や授業の出し物を練り直す必要がありました。毎回、リニューアルしながら進めています。
頭で理解する理論+理屈パートはなるべくウェブ教材を丁寧に作ることで対処して、読むか飛ばすかは学生の自主創造性にゆだねてます。
学校にいる間は「手を動かす」それもじっくり「パス」や「フォント」に触る時間を増やしています。課題の難易度はむしろ優しく、量も少ないのだけど、しつこく再提出を求めてます。パスを丁寧に描くとか、フォントの字間を詰める、とか、今まで「ついて行ける人」だけに要求していた細かい点を全員に求める方針に変えました。出しっぱなしでなく、ひとつひとつにちゃんとエンドマークをつけるように時間をかけています。どうやらその作戦は、今年の一年生の性に合っていたみたい。みなさん、すごい集中してますもん。
たぶん、学生にとっては一週間のうちでいちばん、目が疲れ肩のこる授業だと思いますけど。今週と来週がちょうど真ん中の折り返し地点っす。
仕事を終えた後、有楽町へ。サラリーマン時代の元同僚とワイン飲み。1歳違い、1日違いの誕生日をお互いに乾杯しました。
元いた会社もいろんなシーズンを経て、友人はハピーな仕事と眺めのいい席に。会社での思い出話と知人のその後を懐かしく語り、笑い飛ばせる日がようやっと来たね。なによりなにより。バースデーケーキと48歳と50歳の記念写真を店員さんに撮ってもらって、ふたたび東京駅八重洲口へ。
家に戻ったのは深夜12時。シャワーを使ってPCをつけてメールチェックしたら、facebookからお祝いメッセージをたくさんいただいていて、ウォールがものすごいことになっていてびっくり!
投稿者 midori : 09:34 am | コメント (0)
02 juni 2011
ラストシーン
このブランコが鎖を離れてどこまでも飛んでったらどうなるか?想像しながら飛ぶとよけいにスリル。歴史ある乗り物だけによけいにリアル。のどから血が出たーっ。
今月からシフトチェンジ。レギュラーのスケジュールを思い切って1本外してみました。今月から火曜日は家で仕事する日。現在ものすごくほっとしています。
1年くらい前からずっと考えていたことなんだけど、いろんな方々との関わりがあったために、実行するタイミングを測るのにけっこう時間がかかりました。先方の事情でなくこちらから辞めるのって、勇気がいったなあ。
どんな仕事でも、趣味でも、役割でも言えることだけど、引き受けるときや入るときよりも辞めるときのほうが難しいと思います。自分のコンディションも先方の状況も良くないと、辞めるときって誤解をうみやすい。人間との別れと同じだなあ。
これまでに100点満点のラストデーも、失敗だった結末も経験してきました。ぎりぎりまでがんばるのがいいと思ってた時期もあるけど、辞めるときのすったもんだは、ほんと長い間心の傷になります。反対に幸せな別れを経ると自分の次のステージへの自信がつくものです。
最後の日がどんな気持ちであったか?は、その仕事でどのくらい稼いだか?という事実よりも大きな自己評価にすり替わる。だからよねはラストシーンにかなりこだわるのだと思うのです。
計画どおりにはいかないことのほうが多いのだけど、でも、次のスタートにしこりや傷を残さないで、いい余韻で終える。これってたいせつだと考えます。