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若者よ。一度はサラリーマンになったほうがいい。

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トロリーバス。どこが「トロリー」かというと、頭の上に電線が通ってるでしょ?ちなみに、このバスはガソリンでなく、黒部ダムの水力発電の電気で動いています。ノー排気ガス。ノー放射能。バス、という名前だけど電車の仲間。タイヤあるけどナンバープレートがない。昭和っぽいけど未来的乗り物。おでこについた3つのライトと「えへん」と言ってる顔がちょう、かわいいデザイン。
 空が急に曇って、この先は雨が降るなあと思われる状況になったとき、どちらの行動を取りますか?
A 降られても気にしない派。
降らないかもしれないし。たとえ降っても雨くらいなんのその。わたしは晴れ女だから雨のはずないと信じ、降ったら降ったとき、と考える。現状決行。
B 予定を変更する派。
心配しながら進んでも楽しくないので、別の道を選ぶとか、乗り物を変えるとか、時間を変えるとか、とにかくなにかを変更するなど手を先に打つ。場合によってはイベント自体もあきらめる。

 10年前のよねは、Aタイプでした。Fuji Rock Festival的。ハイになれば雨も楽しい。雨ぐらいじゃあ死にゃしないさー。着替えもってけばいいじゃん。超楽観主義でした。

 最近はすっかりBです。なるべく心配や憂いを回避したい。年齢のせいかもしれない。それと、自分以外の人はどうかな?と考えるようになれたのかもしれない。自分は雨でも楽しめるだろうけど年寄りは?小さい子は? 来た人全員の居心地を気にしないわけにはいかない。責任感がでてきたのはいいことかもしれない。

 保険をかけながらゆっくり進む方式ってあまり自分らしくないなあ、と、そこでまたやんなっちゃう気分になるのですが、やむを得ません。雨に濡れたあとの後始末が大変だし、替えの服や靴を持たないからです。

 軽はずみの代名詞だったよねが慎重になった最も大きな原因、それは「経済」です。組織の外にいる人が失敗するということは損を意味するのです。
 サラリーマン時代のよねはあほうでした。フリーランスなってはじめて気がついた。会社時代はわたしの責任をだれかがしょってくださってたわけだ。心配することの質がまったく変わりました。基本、今は弱肉強食だから、いい人かどうか?より「利害」のほうが重大になってきます。(人はともあれ、向き合っている方にとってわたしのしたことが「利」になる人になろうと、こころがけてる。利にできなさそうなことは最近はお断りするようにしている)

 失敗ができるってことは別の言い方をすると「失敗をする余裕がある」または「失敗の責任が自分にない」ってことでもあります。
 失敗した〜と悩める状況にいる人は特権階級にいると思ったほうがいいです。上手なお詫び言葉をいっぱい研究して、失敗できるうちにいっぱい転んでおいたほうがいいと思います。会社を利用してね。