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いろんな意味で歩いていきたい

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近所の里山。かもの家族も住んでいる小川。右手は加曽利貝塚のある丘。新年の初散歩で開発したコース。一回りで8000歩、5キロちょっと。車で行けば15分のところを70分かけて歩く。贅沢な楽しみだなあ。
 10月の終わりの母の誕生日に万歩計をプレゼントしたら、凝り性の母は、毎晩歩数をノートに記録するほどの熱心さでウォーキングにはまってる。コンスタントに1日で4〜6000歩は歩くようになって2ヶ月後、ホームドクターから「血糖値を下げる薬をやめてみましょう」と言われ、年末から1種類薬が減った。すばらしい。ウォーキングの効果だろうか?
 わたしも去年の5月の連休あとから、「週に3回以上は駅まで(3.5km)歩こう作戦」を実施した。幼稚園の出席スタンプみたく、歩けた日にはカレンダーに花マークをつけた。あれってどうなったかというと、週3回が守れないときもあったし、あと、年末はほとんどできなかったけど、とりあえず半年以上続けられた。
 体調はあんまり変わってない気もする。でも、あれほど心配した風邪にも倒れず、1回の欠席もなく仕事を勤められた。ウォーキングのおかげだろうか?
 いままでなめてたけど、歩くのって、考えてたよりうんと体にいいんじゃないかなと思う。

 よねが自分に課したことは、モノレールで7分の道のりを50分かけて歩く。これだけ。だが、たったこれだけのことが、すごいたいへんなことだった。50分前に家を出るために、すべての仕事の準備は前の日に済ませて置かなくてはならない。朝の出勤前、1時間弱の時間を作る。よねにとってはすごい贅沢な時間配分だ。

 かつてスポーツクラブのとある先生のエアロビクラスが気に入っていた。毎週毎週、連続で振り付けが追加されていく。続けて出られているときは快感に感じてた内容も、1回出られないと「出来ない生徒」になる。1時間を劣等感にうちひしがれて終わったあと、すごいもやもやに侵略された。何度か休むことが続いた。ストレスのあまり、そのうちに出られなくなった。
 会社員の頃は普通にじゃかじゃかできていた。エアロビ中心に生活が回っていたものな。それもある意味贅沢だったということか。今考えると。
 フリーランスになると、スポーツクラブの時間割中心でなんかスケジュールは決められない。必死のときは健康なんて言ってる場合じゃない。そのエアロビに「もう出ない」とあきらめたときは、すごい敗北感だったよ。年齢的、経済的、人格的いろんな意味で自分に負けたと思った。
 スポーツって時間にゆとりがない限り続けられないし上達しない趣味なのだなあ。痛感した。潤っていないときは運動する時間なんか持てないもの。
 今年もたくさん歩けますように。