« 巡礼の道 | メイン | ホワイトスペース »

偶然の意味

080618.jpg
ものすごくいい香りが3日3晩続いた。萩尾望都の漫画の中にいるみたいな心地、流れる空気だけ6月のイギリスの田舎の貴族の別荘だ。ばらは種類によって、匂いがぜんぜん違うということを知った。
 誕生日、仕事を終えて遅い時間に家に帰ると、お得意先から郵便が届いていた。封を開けてみると、映画のチケットが2枚。誕生日をねらって送ってくださったわけではない。ある1件をお手伝いをした御礼、と手紙が添えられていた。誕生日のことをだれにも話すチャンスのない、地味で普通の1日だったので、うれしいサプライズ!。
 よい気持ちで眠りについたら、翌日の朝、宅急便が届く。1メートルくらいの長い箱に入ったばらの花束!。家族は「よねにも誕生日に花束をくれる彼が出現!」と、色めきだった。が、送り主は、クライアントの一つである花屋さん。開きすぎて商品に使えなくなったバラを花束にして、サイトのお手入れのお代につけてお送りくださったのだ。小さなホームページを納めたのは5年も前。現在も花屋さんの売り上げに貢献中だという。先方の気持ちが伝わってきた。
 よねはこの6月で45歳になった。一般の人より20年早く40のときにサラリーマンを自主リタイヤーしたので、生まれ変わってからの計算がしやすい。学校の先生の生活は4年目に入った。デザインの先生はサラリーマンのときから、「デザイン業と平行して、教えたいなあ」と、ねらっていた仕事だ。先生はなってみると楽しくて、勉強することもするべきことも山ほどあり、夢中で1年が過ぎる、という毎日。
 しかし、デザイン業の南風堂的に考えると、ちっぽけすぎることについて、「こんなんでいいのかなあ?」という迷いがなくもなかった。時間の制約があまりない小さな規模の仕事をこつこつ積み上げていくので精一杯なんである。とろ火状態が、このところ続いてて、ペースが上がらない。
 そこにこういううれしい偶然が起こったのであった。
 お得意先から、1年でいちばん、何かをいただくとうれしい日に贈り物をいただくことになった。送り主はちっとも誕生日のつもりではなかったのに。
 よいことや、うれしい知らせが、グッドタイミングでカチッと、同じ瞬間に起きることを「ただの偶然」と受け流すこともできる。でもよねは、偶然に意味を見る。偶然が重なったことも合わせて、45歳時点のキューサインと読んだ。
 ずっとわかりたかったことの答えがわかって、目の前が明るくなる。
「これでいーのだー」(なぜなのか、よねの天の声は、天才バカボンのパパの声)。
 
 あまり先のことを心配するんじゃなく、ご縁を着実に受け止め、受けた仕事はなるべく誠意をこめて納める。現在のよねにはそれで十分なんじゃないか。
 よねが仕事を選んでいた時代に夢見ていたように、仕事のほうが、よねを選んで来てくれているようになれたのではないか? だとしたら世界一の幸せものだ。よねは。十分準備を整え、来てくれた仕事にはベストのコンディションで向かえばいい。これからだって、同じようにしていけばいいんじゃないか。
 天と仕事と自分とのつながりを感じた45歳のバースデーであった。