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「数学に感動する頭をつくる」とデザイン

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やんでお。いーや、昔の看板は右から読むのだ。2007年ベスト行楽地は成田山。その参道は、ほっつきあるきにぴったりな近所の名所。 目にしたときに、脳の奥がふるふると震え喜ぶ、きもちいい線や色、手触りの組み合わせがある。目で見て触れて、心地よいものはグラフィックに限らず、いいデザインだなあと思う。自分でデザインをするときは、脳の奥の喜ぶ感じと相談しながら、気持ちいいものを作ってるつもりだ。この脳の奥が震える感じを、どうしたら人にわかってもらえるのだろう?人に教えるようになってずっと考えていた。
 きれいな形や物って、形自体だったり、組み合わせの微妙だったり、ちょっとした隙間や瞬間だったり、思い過ごしか?と思えるような微かさだったり。だので、言葉ではたいへん定義しにくい。そういうきれいなもののきれいな部分を指して「きれいでしょ」って言っても、生徒さんに果たして「きれい」と思ってもらっているのかなあ。伝わらない人にどう伝えてよいのか?
 自分自身も、「きれいって、こういうものか」ということがわかるようになったのは、仕事をするようになってしばらくたってからだった。大学の先生に教えてもらったのではないと思う。かっこいいデザインをしようと、いろんなことを試しているころにだんだんに身についてきたもの。だので、もともと持ってなくても後から身につけることができるものなんだと思うけど。
 「かっこいい」のうち、時間的にいけてるものを選ぶ力や基本的なフォーマットなんかは、流行のものをインプットするとか、人の作ったものをそっくり真似するということでだれにでもある程度身につけることはできると思う。しかし、この脳みそを振るわせる感じを、だれもが作ることができるかどうか、ってことは謎。どんなデザインの教科書にもどの先生の本にも書いていない。言葉にもしにくい。
 デザインは経てきた体験が物を言うと思ってきた。美しいものを目や手でなんどもなぞり、カーブや広さや色の組み合わせに体を泳がせ、気持ちをゆだね、美しいものと呼吸を合わせる、そういう体験があるかどうか。そこがデザイン力あるなしの決定的な違いになるのでは?。うすうす考えていたことが、「数学に感動する頭をつくる」を読んで確信に変わってしまった。脳の奥のほうの反応というか理解という意味と、深みに段階がある点で、デザインは数学とはぜんぜん違うが、通じる点がある。
 とにかく、たいへんな本に出会ってしまった。(また次回に続く)