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数学に感動する頭をつくる
2007年のベストくつろぎ空間。特急電車「あやめ」の自由席。いつもタイミングが合うわけではないが、ちょうど来れば、乗ってもよいことにしている。特急料金はスタバでケーキを食べたと思って。東京と千葉間をおよそ30分とショートカット。予定を確認し直したり、デザインを考えたり。お茶を飲んだり。時間を節約しながら楽しく、くつろぐ。 今年、秋ごろに不思議な体験をした。パズルで「数独」というのがある。あれにはまったのだ。まるで、わからなかったのに、あるとき、すーっと、当てはまる数字がわかる瞬間がきたのだ。一つが決まると、どんどんほかもわかる。脳みその奥が「気持ちいー」とうなったのを感じた。
取り付かれたように、パズルが止まらなくなり、50問くらいを一気に解いた。仕事そっちのけで。パズルは難易度が上ると、またもとのように、「わからんちん」になったが、「わからないものがわかるようになる」「見えなかったものが見えるようになる」「聞こえなかったものが聞こえるようになる」という、「進化の喜び」を何年ぶりかで味わった。
「これって、デザインが決まるときとおんなじ快感じゃん」。よねの脳みそがこう言った。
「数学に感動する頭を作る」の著者は「音感と同じように、数学が得意な人には数感とでもいうべき感覚が備わっている」と言う。
「数感」は成長する段階で、数という認識をイメージに置き換えるトレーニングを積んだ子どもにしか身につかない。例えば、そろばんや公文式を小学校の低学年に叩き込まれた人は、数学のセンスが抜群にいい。暗算ができて数や量を頭の中で自由に動かす技が身につく。数を頭の中にイメージで思い浮かべられ、動かせる子どもとそうでない子の「わかった」は、問題を同じように解けてはいても、理解の深さが違うという。
よねは数学が高1の段階でまったくわからなくなった。数学、という単語はよけて歩いてきた人間である。だのに、つりこまれるように読んでしまったのには訳がある。デザインを教えていて、実は同じようなことを感じることがあったからだ。
色とか形に対して、「ここの形がきれいでしょう?」と指すと、たいていの生徒さんは「はい」と、こちらの話にあわせてくださる。デザインの勉強は、形や色修正して、前のと見比べ、良くなったかどうか確かめながら、完成度をあげていくということを根気よく繰り返す。同じことを全員に言うのだが、50人に1人くらいの割合で、すごい人がときどきいる。ちょっと動かした文字の空きとか、絵の配置を変えるだけで、2Dだった空間にばーっと奥行きが生まれる。そのちょうどいい場所を瞬時に見つけてしまう子が、たまにいる。その子にあって普通の子のにはないものってなんだろう?
かっこいいパーツを作れるとか、絵がうまい、ということも、デザインの大切な能力。でも、これは、流行のものを大量にインプットするとか、人のものを真似ることでなんとか一般人でも補える。でも、じつは、もっと必要なものがあるんじゃないかと思っていたのだ。(次回につづく)