アイデア出し&ラフスケッチがうまく進まない人
だいぶまえだけど、アキバ駅の軒先のストリートミュージシャンさん。もう今はアトレの入り口になってしまったあのすみでコンサート。
さきほど、村上春樹のエッセイを読んでいたら、こんなふうに書いてありました。
「最初に書いたふたつの短編小説『中国行きのスロウ・ボート』と『貧乏な叔母さんの話』はどちらも先にタイトルができた。そのあと、こういうタイトルで短編小説を書くとしたら、どんな話になるだろうと考えた。」(†マガジンハウス「おおきなかぶ むずかしいアボカド 村上ラヂオ2」の中の「医師なき国境団」P36より)
村上春樹ほどの小説家でも「書くべきことを思いつけない」ことがあるという正直な告白にうれしいショック。
よねは美術学校時代、かなりぼんやりと授業を受けていた生徒で、当時習ったことをほとんど記憶していない残念な人です。十分にトレーニングを積んだ訳ではないのに、いきなり制作現場に紛れ込み、最初に身につけた制作の方法が実は、「先にタイトルを決める」的方法でした。広告会社でしたので、「先にタイトル」ではなく、「先にキャッチコピー」でしたが。
先輩のコピーライターさんのキャッチコピーを受けて、それに似合うビジュアルを考える、というやり方が一番最初に身に付いたのです。
しばらくすると、一緒に組むコピーライターは先輩でなく、自分より後輩になっていくのですが、そのときも最初に覚えたやり方は変更なしでした。
つまり、よねはデザイナーでしたけども、後輩コピーライターと一緒にキャッチコピーを考えたのです。
キーワードやタイトルに、まず、イメージを加える。フォントを選んだり、並べたり、形をかえたり。これが仕事の第一段階。タイトルが決まってから、ビジュアルを探す、作る、と移るのです。これが第二段階。
20年前は写植屋さんという文字を印字する職人さんに文字を注文する、というのが、時間的に先に進めなくてはならないマスト項目でした。そのせいで、文字にまつわる作業が先攻したのです。
それより前ににはなにをしたかな? 事情調査、アイデア探し、でした。アイデア探し期間中の私は、何をしていても、目が泳いでる。「○○だったら?」という目であらゆるものを置き換えて、妄想に忙しいので、ときどき、普通の仕事が追いつかなくて遅刻したりするくらい、「だめな人」になってしまします。
先週、NHKのBS3が北欧特集をしていて、版画家の山本容子さんがホスピタルアートという「病室をアートで飾る」仕事をするようになって、スウェーデンの病院を見学に行くというドキュメンタリーを偶然見ました。
この番組で山本さんに、見学先のスウェーデンの病院の治療室の壁にアートを依頼されるというハプニングが起きるのだけど、このとき山本さんも、「とにかく思うがまま、いろんなものをがんがん見る」ことから取りかかってて、その脈絡のなさがおかしかったです。つくづくみんな一緒だなあと思いました。
「先にタイトルだけを作り、内容を後から考える。文学的に不謹慎だと言う人がいるかも知れないけど、そうやってとにかく書いているうちに自然に、「自分が本当に書きたいこと」だんだんくっきり見えてきた。」(「おおきなかぶ むずかしいアボカド」P37)
学生に見せるチラシ一枚に時間がかかってて、もめている(自分の中で)最中ですが、このもめている過程こそが、もしかすると学生さんにとってはいちばん知りたいことなんじゃないかと思えてきたところです。(まだ途中)
なにがいいたいかというと、順番はどうだっていいから、作りたいものを早く発見すること。発見する方法がサムネールだったりラフスケッチだったりするわけで、それが描けないってことだけでつまづくなーと声を大にして言おうと思います。作るってことを楽しんで、とにかく手を動かせ!ってこと。
ハルキだって言っているし。
「書くという作業を通して、これまで形をとらなかったものが徐々にまとまった形をとっていった。「最初にこれを書かなくては」という『蟹工船』的な使命感ももちろん大事だけど、そういう自然さもまた、使命感と同じくらい文学には大事なんじゃないかと、」(「おおきなかぶ むずかしいアボカド」P37)