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世代によってアクションに開きがある
東金のイチゴ狩りハウスからのプレゼント。お客さんがいなくてかわいそうなので食べてください、とお料理の先生のところに届いたのをさらにおすそわけでいただきました。もー絶品の甘さ!
オランダから帰省中の友達と千葉のそごうデパートで落ち合いました。
デパートではグッチもシャネルもディオールもコーチもルイヴィトンも売り場には鎖がかかってお休み。かなりあからさまに堂々と休業である。商品の出荷とか、従業員のコストとか、いろんな事情もあるのだろうけど、明かりの消えた売り場に「あーら、逃げ足早いことー。日本を見捨てたのねー。悪いけど私たち、ここで生きているのよ、まだー」という印象を持つのを否めなかった。エルメスはちゃんと営業していた。偉いぞエルメス。
友人とお好み焼きを食べました。2時間くらい、ゆーっくりおしゃべりしました。
友人はたまたま、仕事の都合で帰国していて、地震に遭いました。今月29日まで滞在の予定なのだけど、オランダの彼氏と彼氏の家族から
「こんなたいへんな事態なのになんですぐ帰ってこない?!」
という、ものすごいカムバックコールを受け、オランダ勢を説得するのに苦労した、と言ってました。
現在は、東京と千葉は放射能汚染の心配なし、という情報が行き渡って落ちついているそうですが、原発の事故のニュースは欧米諸国を慌てさせているようです。
電話で、別の友人が
「若い社員の1人が、関西の実家に帰るから休みを欲しいとマジメに申し出るので、もう二度と帰って来なくていい、とあと少しで言ってしまうところだった」
とのたもうてました。
外国からのおののきが、若い人たちに伝染してオーバーアクションの原因になっているらしいです。
60代の方からは、
「なんでもインターネット、インターネットって、インターネット使えない人にはなにがなんだかわからないわよ!」
とのご意見をインターネット代表ということで、頂戴しました。ごもっともなご意見です。テレビの人は、「詳しくはインターネットで」とインターネット頼る表現をなるべくやめましょう。テレビの問題はテレビで。
なぜなら、今や、テレビを見ているのはインターネットを使わない世代だけで、そのセリフを聞くたびに、なんだか重大なことを聞き逃したような取り残されたような気持ちになるのだそうです。
今のよねはね、もう日本には今以上原発が増えることはしばらく、きっとないと、ある意味ちょっとほっとしたりもしている。切り替え早すぎで不謹慎かも知れないが、日銭をかせぐしかないフリーランスは、放射能から逃げ回っていられない。腹をくくって、来月のことを考えてる。
よねの目下の最大の気になることは、みずほ銀行のシステムがダウンしてしまったこと。
本日、千葉に出たときにみずほ銀行の前に銀行員が何人か立っていたので、「明日にはなおりますよね?」
と質問してみた。最近、ほとんどのお金のやり取りにみずほ銀行のインターネットバンキングを使っていたから、ちょっとめんどくさいことになりそう。連休明けには使用できるんだと思って、なんにもアクションを取らずに先週を過ごしていた。
「いま、一生懸命復帰させようとしているのですが、明日は復帰しない可能性も出てきました」という答えを聞いてがーん。
3月21日午後2時ごろの話である。
日本でいちばん信頼できると思っていた銀行のシステムが壊れるって、こっちも原発に負けないくらい、のっぴきならない事件じゃない?。ちょっとぞーっとした。
それと、数千の、ひょっとすると、それよりすごい数かもしれない、システムエンジニアさんたちのたいへんさを思い浮かべてしまった。消防隊や自衛隊ほどマッチョではないが、きっと命を張らざるを得ない人たちがここにもいるはずだあ。
銀行は分けよう。この震災の教訓である。