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頭でっかち病
毎朝乗るモノレールのホームへの長い長い階段。4階建ての建物よりも高い位置に登る。持っている荷物の重さによるが、これを一気に駆け上がれるかどうかで、健康チェックになる。
今、仕事で行っている大学で二十歳前後の若者との付き合いがあるから、自分の大学時代を思い出さざるを得ない。
自分が作るべき、描くべきもの。それは世界を動かしちゃうくらいすごい作品のはずなんだけど、優先順位は提出課題やバイト、友達との付き合いのずっと後ろにあった。
野田秀樹好きの演劇少女の友達ができた。いっしょに芝居やバレエなんかに足を運ぶようになった。映画といえば、ビスコンティーやゴダール。暗くてかわいくない学生だったなあ。
しんとした部屋で催される不思議な儀式がコンテンポラリーアートと言われているのを知り、なんだか自分もゲージツ家になった気がしていた。
毎日が忙しく、騒がしく、大袈裟で、落ち着く時間なんて自主休講を決めたときだけ。知っていること、関わっていることの壮大な音量に自分を合わせるのに精いっぱいで、ほんとうの意味で何かを作り出すことなんて一度もする暇がなかった。それなのに、今思うと笑っちゃうけど、いつか人を驚かすのだと、本気でそう信じていたと思う。知っていることがうれしく、それだけで「選ばれた」気になっていたのだ。恐ろしいくらいの誇大妄想だね。今思うと。大学時代は4年間もあったのに、なりたいものにはなれずに、大人になった。
自分もそんなふうだったから、今の学生さんたちの気持ちが少しわかる。入ってくる情報と知識の量と自分のものを作る実体験とのバランスが取れない苦しみ。頭でっかち病だ。
未来を乗り切るために学ばなくてはならない技術、今の人たちはすごい選択範囲が広い。全体の概要をざっと探索するだけでもすぐに2年くらいは過ぎる。どれかに集中したくても、次のソフトを習っているうちに最初に覚えたことを忘れる。ひとつを深く突き詰めるられるのは、大学入学前から何かを動かしていた経験のある、一握りの早熟な生徒たちだけの特権だ。普通の子どもは、覚えた技術を使って、課題をこなすだけでいっぱいいっぱい。質を「磨く」時間がなさすぎる。「おれのはだめだー」を連発しているうちに、作品を人に見せられなくなっていく。
頭でっかち病の特効薬は、まめに作品をアウトプットするに限ると思う。簡単でも小さくてもいいから、完全に自分の手で一作を作り通してみる。とにかく作品を完成させること。最初の目標は人に認めてもらうことではない。まず自分で達成感を味わうこと。
タイムマシンがあって、今、二十歳の自分に会えるなら、耳元でそう言ってやりたい。