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君の後姿を見つめてきた
よねが出勤する平日の午前中11時台のJR成田総武快速の中。始発駅は成田空港、行き先は逗子。朝、空港に着いて入国したての外国人。それと帰国者が、旅の疲れでボーっとしているか、あるいは爆睡中の車内 with スーツケース。かすかに外国の街&空港の臭い。よねが住んでる辺りはある意味、毎朝、とっても世界に近い。
本日は自宅で作業の一日。生徒の作品のデータチェックを一気に終わらせた。提出されたCDと作品を60人分くらい見たら終日かかった。
生徒さんの作品を見るのは楽しい。わくわくしながらCDを開く。その生徒さんが40歳になったときを想像しながら作品を見ている。すごいきらめきと向き合っている。しかし、にこにこしているだけではいけない。基本を身につけていただく科目なので、印刷の作法は細かくチェックする。こじゅうとみたいに。
データも完璧に処理できている生徒は1クラスに数人。いったん習ったことを簡単に忘れるのは無理もないと思う。生徒さんたちは、毎日、学ぶことがありすぎる。
不備が一箇所でもある人は再提出となる。パーフェクトなんて、最初から求めていない。間違えるだろうなあ、と思っている。間違えたら、やり直せば、やり直した経験がその人の力になる。再提出を重ねて、生徒さんは腕を上げる。失敗を克服した経験は、体に染み付くと信じる。間違った生徒さん1人1人に宛ててどこが間違っているか、メモを書いた。
自分の大学時代を思い浮かべる。今、いちばん会って話をしたい先生は神田昭夫先生。会いたいなあ。長岡のデザインの大学で教鞭をとられていたが、亡くなってしまった。しかたないので、神田先生の著書を読む。神田先生のデザインの仕事を眺める。神田先生は授業のときに自分の著作を教科書に生徒に買わせなかったので、わたしは在学中、先生がどんな人なのかよくわかっていなかった。デザインの現場で仕事をするようになってから、神田先生の本と神田先生の仕事を買い集めるようになった。
大学時代、神田先生のデザインの授業で、何を作ったか、何を習ったのかを、ほんとうに恥ずかしい話なんだが、まったく思い出せない。しかし、自分でよくやった!と思う作品は捨てずにとってある。それを見ると、どんなふうに課題を出されていたかということと、合評会のとき友達が神田先生から注意を受けていた風景をとぎれとぎれにやっと思い出す。
今、自分が大学生に向けてしゃべっていることも、おそらく、現生徒様方の記憶には、きっと残していただけないだろうなあと思っている。今、しゃべったことで、少しでも現作品が良くなればいいと思う。その人にとってちょっといい作品が作れて、作った喜びがその人の記憶に引っかかれば上等だと思う。
言ってもしょうがないと思うので、体を動かさせる。手を強制的に働かせる。作品を残せば、後年データを見たときに、何をしたかをはっきり思い出すだろうし、手は脳より信頼おける。とっさのときに、なにか行動できればいい。デザインの授業なんだが、スポーツ実習みたいである。
デザインの勉強には、理論も精神論も大切、だけど、いちばん必要なのは、手の中で出来上がった「現物」なんである。